映画から社会への問い…オスカー俳優たちの意欲作『モーリタニアン 黒塗りの記録』をいまこそ観るべき理由
「真の実話というのは“悪者がいない物語”」(ジョディ・フォスター)
本作で描かれるように、無実の人間をテロリストに仕立て上げてしまう社会の風潮。その背景には、正義感や善意、もしくは不安や恐怖心があり、それによって生まれた偏見や差別は9.11直後のアメリカ社会ではより顕著なものになった。もっともそれ以前から、コロナ禍の現在に至るまで、アメリカのみならず世界の至る所に根深く残っているものでもある。
「私たちの誰もが9.11の出来事にものすごく衝撃を受けたために、アメリカ中に恐怖心があふれていた。そのせいで誰が勾留されているかについてはほとんど考えていなかったのだと思います」。そう語るジョディ・フォスターは、「なにより難しいことは、正しく語りたい、すべての当事者に対してフェアでありたいと思うこと。なぜなら私は、真の実話というのは“悪者がいない物語”だと信じているからです」と、本作のような社会派映画を作る上での難しさを語る。描く意義のある実話であり、同時にこれは映画という一つのエンタテインメントでもある。それでもそこに、ヒーロー映画さながらのわかりやすい勧善懲悪はなく、様々な登場人物たちの思惑や葛藤が入り混じったドラマが存在している。
また、カンバーバッチはインタビュー動画のなかで本作を「喜びと希望、そして救済を描く映画」であると形容し、「当時は誰もが自問していた。テロという凶悪な行為にどうやって正義を下すべきか、テロリストと自分たちの違いはと。対立する双方がそれぞれの正義を信じている」と振り返りながら本作に惹かれた理由とこの物語が持つ奥行きを語っている。さらにラヒムは「一人の俳優として、そして一人の人間として、僕はこのストーリーこそ語られるべきだと思った」と、ウッドリーも「多くのアメリカ人と世界中の人たちの良心へと届けることは、役者としての私の責任だと感じました」と、それぞれがこの物語を真摯に世に伝えることの重要性を意識して役に臨んでいたことが窺える。
そうしたキャスト陣たちの“真実”への思いをかたちにしたのは、彼らの演技やマクドナルド監督の演出だけではない。本作の制作段階で、ナンシー・ホランダーとモハメドゥ・ウルド・スラヒ、テリー・ダンカン、スチュアート・カウチ中佐。映画の劇中に登場する当事者たち本人が参加して念入りにファクトチェックを行なったことが非常に大きい。そうして事実を描く映画としての理想的な姿を追求し、一本の映画としての豊かさを持ちながら未来へと語り継いでいく意義を作品にもたらしていく。
決して起こしてはいけないことを繰り返すのが人間という生き物の弱さであり、それが現実のものとなっているいま現在。スラヒのような立場に置かれる人物を社会がふたたび生み出したときに、いったいなにができるのか。この映画は我々に考えるチャンスを与えてくれることだろう。
文/久保田 和馬