『セカコイ』で再タッグ!三木孝浩監督が語る、「また一緒にやりたいと思わせてくれる」福本莉子の向上心
「クランクインした当日が、アドリブでのデートシーンだったんです」(福本)
――共演者の方についてもお話を伺いたいのですが、今回の現場でのキャスト同士の雰囲気はいかがでしたか。真織と恋に落ちる透役を演じたのは、道枝駿佑さんですね。
三木「みっちー(道枝)とは2回目の共演だよね」
福本「そうですね、2回目です」
三木「ドラマで共演して、割とすぐのタイミングで今回の作品だった」
福本「そうです。道枝くんに『三木監督ってどんな人ですか?』と聞かれて、『すごく親身に相談に乗ってくれるし、優しい方だよ』と話したりしていました。で、クランクインした当日が、アドリブでのデートシーンだったんです。共演したばかりの道枝くんだからしゃべれましたが、ほかの俳優さん相手だったらちょっと難しかったかもしれません(笑)」
三木「僕は、ドラマで共演して仲が悪くなっていたりしたら嫌だなと思って『仲良くやってた?』と聞いたよね。そしたら『仲良くやってましたよ』と言うから、ホッとした(笑)」
福本「大丈夫でした(笑)」
――撮影の合間にはどんな話をするんですか?
福本「美容の話をしていましたね。道枝くんは肌がきれいだから『スキンケアはなにを使っているの?』と聞いたりしていました」
三木「すごいコスメトークしてたよね」
福本「女子トークみたいな(笑)」
「頭がこんがらがってきちゃって、本当に大変でした」(福本)
――真織の前向性健忘患者という役柄を演じるのは難しい面も多かったと思いますが、演技面ではどんなことを感じましたか。
福本「最初のほうのシーンは、当たり前だけど私にとっても透の記憶がリアルにないから、やりやすかったんですよ。でも撮影を続けていくと、その分、道枝くんと喋る時間も増えるし、私自身、福本莉子としての思い出も増えていくじゃないですか。でも真織は記憶がリセットされて、毎回ゼロからスタートする。だから、毎回その差を埋めるのはどんどんつらくなりました。後半には頭がこんがらがってきちゃって、本当に大変でした」
――真織は日記を読み返すことで記憶が残っているフリをしますが、“覚えていること”と“知っていること”は違いますもんね。
福本「そうなんです。日記に書いてあることは『こういうことがあったんだ』という情報でしかないんですよね。思い出なら、その情景が浮かぶじゃないですか。でも情報だけだと情景は浮かばないから、他人事っぽいというか。すごく難しかったです」
三木「現場で『それって役者も一緒だよね』という話になったんですよ。役者も、その役柄の記憶はないけど、情報を入れて演じる。だから僕はあれこれ言うよりも、そういうものとしてお芝居してもらった方が、自分のなかで腑に落ちた感じがします」
「失われていくものをなんとか留めておこうとする行為が映画作り」(三木)
――今回の作品では『記憶』が大きなテーマだと思いますが、お2人にとって、監督として、俳優として“忘れることのできないような言葉や経験”といえばどんなことが思い当たりますか。
三木「僕は『映画を作る』ということ自体が、真織が日記を書くのと似ているなと思うんです。普段生活をしていて、いろんな映画を見たり、ここの風景がいいなと思ったり、人の言葉を聞いて感動したりしますが、僕は記憶力が弱いんですよね。だから、失われていくものをなんとか留めておこうとする行為が映画作りになっているような気がしています。自分の人生で、琴線に触れた瞬間を、形を変えて映画に定着させたい。それが自分のなかでクリエイティブの動機になっている感じがします。僕は記憶にまつわる映画が好きだったり、自分でもそういう映画を作っていたりするんですけど、そこに執着心があるのはそういうことなのかな、とこの映画を作りながら思っていました」
――福本さんはいかがですか。
三木「女優は逆に、いろんな役の思い出をリセットしていかないといけないんじゃない?」
福本「たしかに毎回リセットですね。でも、作品ごとに1個ずつ引き出しが増えていくんですよ。そうすると次の作品で、増えた引き出しのなかに近いものがあれば、その引き出しを開けてちょっともらってきたりするんです。『これは使えるから持っていこう』という風に」
三木「ああ、なるほど」
福本「役によって、引き出しにあるものに、まだないものをプラスしていく、みたいな。そうやって昔よりは引き出しが増えてきたかなと思います。やっぱり、演じる役はいつも自分とは全然違うから、それぞれの役を通して身につけたことや感じたことは、私のなかに残っています。別の監督の作品の時に感情的なシーンがあったんですが『いくら心が動いていても体が動いていないと、それは見えない』と言われたんです。例えば悲しい感情を表現するシーンで、心のなかで悲しい気持ちだけ作っていてもダメなんだなと思いました。表面に出さないと、動かないと伝わらないことってある」
三木「大林宣彦監督が『いい映画、悪い映画というのはない。幸せな映画と不幸な映画があるだけだ』と言っていたんですよ。映画との出会い方、観るタイミングとか年齢とか、気分によって、『この映画最高』と思う時もあるし、そうでない時もある。若いころに観ていたらすごく感化されたものも、年齢を重ねてから出会うとあまり響かないこともあるから、映画って出会い方なんだなと思いました。大林監督の言葉を聞いてからは、自分の映画がいくら酷評されたとしても、自分を慰める言葉になりました」
――では、この作品も刺さるべき人に刺さるべき時に観てほしいですね。
三木「いい人に、いい時に出会ってほしいなと思います」
取材・文/山田 健史