hideの実弟と映画プロデューサーが明かすhideの素顔…「『TELL ME ~hideと見た景色~』では松本秀人の優しい部分が描かれている」
「稲田さんが生きててくれてよかった。稲田さんの功績を、声を大にして言いたい」(松本)
――松本さんとI.N.A.さんは、想像を絶する苦労を経験されました。
松本「hideさんが亡くなって、稲田さんは突然、彼一人に音源が任された。僕は音源以外のこと、やったことがない仕事で、朝から晩まで走り回りました。一人で作業している稲田さんのもとへ早く駆け付けたいと思っても、スタジオに行けたのは夕方以降でしたが、稲田さんは、真っ暗な、PC画面の明かりだけが点いている空間で、延々と作業をしていました。稲田さんが気づくまで後ろで静かに待ってたら、逆に稲田さんが僕を気遣ってくれて。毎日、お互いの生存確認も兼ねてスタジオに通っていました。本当に、稲田さんが生きててくれてよかった。稲田さんがいなかったら、まったく前に進んでいなかったので、稲田さんの功績を、声を大にして言いたいです」
――完成した本作を観て、どのような感想を抱かれましたか?
松本「当時の大変な苦労やつらい気持ちと共に、苦労した仲間と一緒に乾杯したささやかな喜びが呼び起こされました。自分一人じゃなかった。みんなに支えてもらったから、ここまで来れたんだと、感謝の気持ちでいっぱいになりました」
――塚本連平監督が「ごく一般的な兄弟を描きたかった」と。
姉帯「hideさんから松本さんを初めて紹介された時、アーティストと駆け出しのマネージャーという感じで、兄弟の雰囲気はまったく感じられませんでした。普通の兄弟を描くという塚本監督のアイデアはすばらしいなと思いました」
松本「僕がなにもできなかったから、弟として紹介すると、周りが僕に気を遣う。hideさんに、マネージャーとして扱ってもらって、みんなの前で厳しくしていただいて、よかったと思います。僕がスタッフの方たちとお話ができるようになってからようやく、急にhideさんが優しくなった。1997年夏に行われた『MIX LEMONeD JELLY』というイベントが終わったあと、2人きりになった時、『お前、打ち上げやってなかったな。なに飲む?お疲れ様』って言われて。初めて“お疲れ様”って労いの言葉をかけられて、絶対なにか罠があるんじゃないかと怖くなりましたよ」
姉帯「(笑)」
松本「『たまには兄弟に戻ろうよ』って。その時ですね。先ほど話した『俺になにかあったら、本でも書けよ』と言われました。僕は『なにかあったらなんて言わないでくださいよ、やめてくださいよ』って。むしろしっかりしなきゃと背筋が伸びたのを覚えています」
「最初のころ、僕が待ち合わせに5分遅れた時、hideさんに怒鳴られました」(姉帯)
――hideさんから教えられたことで印象深かったことは?
松本「一番は、時間に厳しかったです。hideさんは時間にルーズなのを一番嫌がりました。例えば、今日12時からスタジオでレコーディングが入っているとします。ということは、12時から音を出せるよう、スタジオやスタッフの方たちは待っている。そのスタッフの方たちにはご家族がいて、12時から仕事をスタートできるよう、送りだされているわけです。『いまこの場にいない人たちの助けもあって、仕事が成り立っているのに、俺が12時ジャストにスタジオに入ったら、バカみたいじゃないか。そんなカッコ悪いことはさせんなよ』『30分前には着いて、準備して、12時から音を鳴らすんだ』と。取材でもすべて、絶対に時間は守っていました。『俺一人で地球が回っているわけじゃないからな』と毎日言われていました」
姉帯「最初のころ、僕が待ち合わせに5分遅れた時、hideさんに怒鳴られましたよ。hideさんが30分前到着だと、松本さんはさらに前倒しで、1時間前には到着しなければならない。hideさんが明け方まで飲んでるから、待っている松本さんはほとんど寝れずに、車の中でよく寝てたよね」
松本「ほかには、劇中にもあった『挨拶は相手に聞こえるように』とか。『こんな風貌で派手な仕事をしてるんだから、普通の仕事をしている人達よりも余計にちゃんとしろ』と言われていました」
姉帯「hideのスタッフはだらしないと思われたくなかった」
松本「事務所のスタッフだけでなく、レコード会社の方や仕事で接する全員に対して、hideさんは同じスタンスでした」