“国民の初恋”ペ・スジの力強き変貌…共感&物議を呼んだ韓国ドラマ「アンナ」で次なるステージへ
役者として貪欲に挑んだドラマ「アンナ」ディレクターズ・カット版
聴覚障碍者の母とテーラーの父のもとで育ったユミ(ペ・スジ)が、はずみで吐いてしまった嘘をきっかけに名前や学歴を偽り続け、“アンナ”という女性になりすましていく波乱の人生を描く「アンナ」は、過去に韓国で実際に起きたシン・ジョンアという女性による経歴詐称と詐欺事件に材を取りつつ、イ・ジュヨン監督のリアリティと深みのある演出が魅力的だ。これが長編ドラマデビューとなる監督だが、“キロギアッパ”(母親を伴って外国に留学する子どもへ仕送りするために働く父親)の切なさを映画的想像力で表現したイ・ビョンホン主演の映画『エターナル』(17)を手がけた経験を持つ、信頼できる作り手だ。
しかし、本作はその賞賛されるべき出来映えよりも、製作陣とOTTサービスクーパンプレイの対立の話題が先行してしまった。本作が韓国で配信されると、イ・ジュヨン監督側はクーパンプレイが一方的に内容を6話に縮小・編集したと怒りを表明した。一方クーパンプレイは「ディレクターズ・カット版が事前に協議されたものと異なったため、元の製作意図に合うように編集した」とし、全8話のバージョンも公開する予定だと明らかにした。しかしイ・ジュヨン監督は、クーパンプレイのコメントは事実と全く違うと反論。その後、クーパンプレイが謝罪と共に、配信版のイ・ジュヨン監督およびスタッフ6人のクレジットを削除する措置を取ると報じられたが、クーパンプレイ側は「謝罪はしていない」とまたもや否定。法的対応も辞さないと強気の姿勢を見せた。こうして一向に解決する気配がないまま、今日に至っている。
作品のクオリティの差は明らかだった。クーパンプレイ版はユミ/アンナの物語に集中したようだが、人物たちの関係性が薄れたせいで、虚栄心に満ちた嘘つき女に起こった因果応報的な顛末という凡庸なドラマに堕してしまった。救いだったのは、粗雑に繋がれたストーリーラインを韓国の視聴者も「創作者たちに対する礼儀がない」と切り捨て、ディレクターズ・カット版を支持したことだった。
「アンナ」ディレクターズ・カット版は、ユミ/アンナが自身を偽る背景を丁寧に描写することで、女性や持たざる者への抑圧を繰り返す階級社会を撃つ。ユミと教師の恋愛が発覚した時、なぜ彼女だけが退学させられたのか?経済的に困窮したユミがコシウォンで暮さざるを得なくなったのはどうしてなのか?女性であるというだけで、なぜ侮蔑的なセクハラを受けなければならないのだろうか?努力家であり、才能もあるユミでも、現代社会では学歴と財力にすがらなければ生きられず、“アンナ”になるほかなかった。薄氷を踏むような嘘で自分の首を締めて葛藤していく彼女の姿には、心が抉られる。加えて、ユミが“アンナ”の名前を持つきっかけとなる高慢なヒョンジュ(チョン・ウンチェ)や、ユミ/アンナと愛のない結婚をする夫ジフン(キム・ジュンハン)といった搾取階級にある登場人物たちにも触れたことで、人間関係が重層的なドラマに仕上がった。
過去に類を見ないほどのスジの躍動は、本作の完成度をさらに高めた。自信ありげに振る舞う姿や、不安を覆い隠しながら嘘を吐くときの顔、生活に疲弊した表情などを繊細に使い分け、時に気迫に満ちた眼差しに壮絶さが宿っている。
彼女がユミ/アンナというキャラクターを掌握していたことが理解できるエピソードがある。クーパンプレイ版だけを観た視聴者の中には、アンナはユミの“リプリー症候群による産物”だと指摘する声があった。アラン・ドロン主演で有名な映画『太陽がいっぱい』(60)のモチーフとなったこと知られているアメリカの犯罪小説「リプルリ」の主人公リプリーに由来するこの言葉は、自ら作り出した嘘を信じる精神状態を意味している。あるインタビューでスジは、「“リプリー症候群”を経験する人々は、本人も実際に自分がその人物だと信じるという。ところがユミは、自分がアンナではないと知られてしまうことに強い不安を抱いている」とそれとなくユミの“リプリー症候群”を否定した。イ・ジュヨン監督が描きたかったのは、フィクションに登場しがちなずる賢い女ではない。多面体のリアリティを持った一人の人間だ。ユミ/アンナを演じきったスジは、こうして私たちに連帯したのだ。
スジがこれまで演じてきた『建築学概論』のソヨンや『花、香る歌』のチェソンといったキャラクターは、恋愛や職業などあらゆる局面で女性が負わされてきた理不尽なイメージ、絶望、困難を鏡のように映している。私たちがそうだったように、ペ・スジもまた、こんな役をずっと待っていたのかもしれない。「アンナ」のラストシーン、ユミ/アンナは自分を意のままにしようとした存在に鉄槌を下す。まるで抑圧的な社会へも引導を渡すようなその姿に、私たちは一斉に快哉を叫ぶ。アンナという力強い役を得、自らのものにしたスジは、女性をエンパワーメントする新たなミューズとなったのだ。
文/荒井 南