”高すぎる完成度”は映画にとって弱点なのか?『そして僕は途方に暮れる』三浦大輔監督と語り合う、映画の”コツ”【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】
映画の世界に活動の幅を広げた劇作家・演出家が、必ずしも優れた映画監督になるとは限らないが、三浦大輔監督の新作『そして僕は途方に暮れる』の有無を言わせぬおもしろさを前にすると、そこにある種の必然を見出さずにはいられない。2018年に初演された同名舞台の映画化作品となる今作は、同じ藤ヶ谷太輔の主演であることも含め、演出の細部においても構成の精巧さにおいても、演出家と演者の時間と経験の積み重ねによってとことん磨き上げられた作品ならではの完成度に達している。と同時に、東京、苫小牧、そして再び東京と主人公が辿る足取りの中で複数のサプライズ展開が仕掛けられた本作は、もともと演劇として作られた物語であったことを知ると不思議に思えるほど、ロケーション撮影された実景だけが持つ説得力との相乗効果がもたらす映画的な興奮に満ちている。
『ボーイズ・オン・ザ・ラン』(10)、『愛の渦』(13)、 『何者』(16)、 『娼年』(17)と、2010年代に入ってからコンスタントに刺激的な映画作品を世に送りだしてきた三浦大輔。それでも未だに「演劇の人」というイメージがあるとしたら、その理由は主宰するポツドールでの活動をはじめとして演劇界でそれだけ大きな功績と痕跡を残してきたことに他ならないのだが、映画監督としても同時代の日本映画界における突出した才能の一人なのではないか。本作『そして僕は途方に暮れる』は、きっとそのことを改めて多くの人に知らしめる作品となるだろう。
※本記事は、ストーリーの核心に触れる記述を含みます。未見の方はご注意ください。
「映画監督としては、まだ映画の”コツ”みたいなものを掴みきれていないなっていう想いがあって」(三浦)
宇野「最初に告白をさせていただくと、オリジナルの舞台『そして僕は途方に暮れる』を見逃していて。見逃していてというか、藤ヶ谷太輔さんには映画の出演タイミングでは毎回取材してきたし、三浦さんの映画も毎作欠かさず観てきているんですけど、そんな好きな役者と好きな演出家の作品にもかかわらず、約5年前の上演当時はその舞台の存在も耳に入ってなかったんですよね。自分が映画の仕事をメインにしているせいなんでしょうけど」
三浦「演劇界の人はみんな気づいていながらあまり言わないですけど、演劇ってそういうものですよね」
宇野「それこそ、世代的に大沢誉志幸のこの曲なんて超リアルタイムだったから、タイトルを目にしてたら少なくとも記憶には残っていたはずなんですけど」
三浦「この舞台は全公演が5分くらいで即完したんで、そうなると、もうそれ以上宣伝もする必要もなくなってしまうという現実があって。そういう意味では、やっぱり作品の波及力は映画のほうがありますよね。それこそ、時間が経てば配信とかで家でも観られちゃうわけですし。一方で、舞台はセットを組んで毎公演スタッフが大勢関わって、その効率の悪さは歴然としてあって。それでも『その儚なさが演劇の美学』みたいな強がりは言っておきたいんですけどね(笑)」
宇野「ただ、三浦さんは結構早い段階から映像もやられているじゃないですか。2003年にはぴあフィルムフェスティバルで審査員特別賞を受賞(『はつこい』)されていたりととか。あれはおいくつぐらいの時でしたっけ?」
三浦「20代後半、27、28とかですね」
宇野「(三浦大輔主宰の劇団)ポツドールの結成からほんの数年後ですよね」
三浦「ポツドールは大学時代に結成していたので、『はつこい』を撮ったのは、演劇のほうで少し注目され始めたころという感じですね」
宇野「当時からはまたいろいろ状況も変わってきていると思いますが、舞台演出家としてのご自身と、映画監督としてのご自身を、現在はそれぞれどのように位置付けているんでしょうか?」
三浦「舞台の劇作家と演出家としてはもう長年やってきたので、演劇では新作をやるたびに、自分のなかで”新しいことをやらなければ”という思いが強いですね。舞台表現として何らかのトライがなければ、あんまりもうモチベーションが沸かなくて。演劇界における自分の立ち位置も自覚しているので、そこで自分の出来ることをやっていかなきゃという、そういう責任感が舞台のほうではあるんですけど。映画監督としては、まだ映画の”コツ”みたいなものを掴みきれていないなっていう想いがあって。毎回模索しながら、なんとか一本撮りきって、次につなげているという感じですね。そういう意味で、結構引け目を感じています」
宇野「逆に言うと、映画では外様であることの気楽さみたいなものがある?」
三浦「舞台のように、自分がなにかを担わなきゃいけないみたいなものはないんですが、正直なところを言うと、あんまり映画人の方々に受けてないなっていう勝手な思い込みがあるんですよ(笑)。それはなんなのかなって考えると、僕の撮る映画がちょっと演劇的なことが関係しているんだろうなと」
宇野「確かにこれまでの三浦さんの監督作には『何者』のように演劇的な仕掛けのある作品もありましたけど、自分は全然そういう印象を持ってなくて。特に『愛の渦』以降の作品は毎回とても興奮させられていて、今回の『そして僕は途方に暮れる』も思いっきり食らっちゃったんですね。それは、作品のテーマやストーリーに関する部分だけじゃなくて、純粋に映画として」
三浦「ありがとうございます。でも、やっぱり演劇とは違って、映画監督としての揺るぎない自信っていうか、ここを押さえておけば大丈夫だという、漠然とした“コツ”を、まだ僕のなかで見つけられていないというのが正直なところなんですよ。やっぱりコンスタントにおもしろいものを作る監督って、それを掴んでいると思うんですよね」
宇野「いや、三浦さんはコンスタントにおもしろい映画を作ってますよ。それは、例えば映画賞だとか、海外からの評価とか、そういうものがついてこないということですか?」
三浦「それもありますが。うーん…“ヒット”っていう言葉はあまり使いたくないんですけど、映画って、一部のヒットするべくしてヒットするような作品はまたちょっと別ですけど、ヒットする作品ってちゃんと作品の質と関係していると思うんですよね」
宇野「ああ、観客の口コミで公開からちょっと過ぎてからさらに広がっていくみたいな、そういうヒットの仕方ということですか?」
三浦「はい。そういう評判を、少なくともこれまであまり直には浴びてきてはいないなあっていう(笑)」
宇野「確かに『カメラを止めるな!』とか『花束みたいな恋をした』みたいなヒットの仕方はしてないですけど、ああいう作品は数年に1作ですからね。本業で高く評価されつつ、映画を撮りたいと思えば次作も普通に撮れるっていう、傍目からは理想的なキャリアのようにも見えますけど」
三浦「でも、映画の世界では“無難にちゃんと撮る人”って思われているようなフシがあって。 演劇界とは全然違う位置づけになっていることへのジレンマというか、違和感のようなものがあるんですよ」
宇野「そうなんですか?“無難”どころか、毎回どこから球が飛んでくるかわからないような驚きをもたらしてくれる監督だと自分は認識しています。確かに過小評価されてるとは思いますけど、ちょっと思い込みも入ってるような(苦笑)」
三浦「そう言ってくださったらうれしいんですけど」