鈴木亮平&宮沢氷魚、『エゴイスト』恋人役で受けた刺激「亮平さんは、細胞レベルでその人物になっていく」
「“愛とエゴの境界線”にはいろいろな考え方がある」(鈴木)、「エゴという言葉の捉え方が変わりました」(宮沢)
――鈴木さんからは、“愛とエゴの境界線”について考えてしまうタイプだというお話がありましたが、本作を観た方がそういった話題について語り合いたくなるような映画だと思います。お二人は、本作を通してどのような会話が弾むとうれしいですか?
鈴木「恋人がいらっしゃる方には、恋人と観ていただいて『自分の相手への愛は、どういう種類のエゴなんだろう』と語り合っていただき、僕はその会話を横からのぞいてみたいです(笑)。『あなたのことが大切だよ』と言われるのもうれしいものですが、『あなたのことがほしい。だから一緒にいるんだ』という表現の仕方をされてもうれしかったりする。最近僕が観た映画で、『私は、あなたといる時の自分が好きなの』というセリフがあったんです。それってすごい告白の言葉だけれど、うれしいと思う人もいれば、ものすごいエゴでもありますよね」
宮沢「僕はそう言われたらうれしいかも」
鈴木「うれしいよね!『あなたといると、好きな自分でいられる』ということだから、究極の愛の言葉でもある。本作を観ていても、『愛にはエゴイスティックなところもあるけれど、誰がそれを純粋なものではないと決められるの?』と感じたりして。“愛とエゴの境界線”っていろいろな考え方があって、僕はそうやって答えのないことをずっと考えたりしてしまうところがあります」
宮沢「この映画を観ると、家族や友人、恋人など、大切な人にきっと会いたくなると思うんです。僕は『時間の限られている自分の人生のなかで、大事な人と一緒にいる時間の1分、1秒も無駄にしたくないな』と思いました。エゴという言葉は自分勝手なことだとすごくネガティブなイメージがあったんですが、本作に参加したことで、愛を表現するためのエゴだったら、それはネガティブなことなんだろうか。そこにも美しさがあるのではないか?という想いに至りました。例えば僕はサプライズが好きで、誕生日のサプライズパーティを開いたり、突然プレゼントを渡したりすることも好きなんですが、喜んでいるその人の姿を見て、自分がうれしい気持ちになっていると思うと、自分勝手なのかなと(笑)。でもそこに相手を想う“純粋な愛”があれば、エゴを抱くことは必ずしもネガティブなことではないのかなと感じています。ぜひ本作を通していろいろな話をしていただけるとうれしいです」
取材・文/成田おり枝