原点「王様と私」から「千と千尋の神隠し」まで。上白石萌音が振り返る、舞台女優としての歩み
舞台芸術のアーカイブをオンラインで閲覧可能にし、舞台芸術をより身近に、そして未来へつなげる様々な活動を行っている「EPAD」。MOVIE WALKER PRESSはEPADの取り組みに賛同し、スペシャルサイトをオープン。「普段映画を観るように、気軽に舞台を楽しんでほしい!」という想いのもと「初心者におすすめの舞台作品は?」「どんなアーカイブがあるの?」など、舞台芸術の楽しみ方を提案します。
その場を温かな空気でいっぱいにするような優しい笑顔も魅力的で、女優、歌手として唯一無二の輝きを放っている上白石萌音。先日「千と千尋の神隠し」と「ダディ・ロング・レッグズ」で第30回読売演劇大賞の最優秀女優賞を受賞するなど、舞台人としてもますます存在感を高めている。人と舞台の距離を縮める様々な活動を行っている「EPAD」について、「舞台に立つ者としても、とても心強い活動」と共鳴した上白石が同活動への想いを語るとともに、初舞台の思い出や、キャリアにおける転機など、舞台人としての“これまで”と“これから”を告白。「舞台は夢がたくさんある場所」と愛情をあふれさせた。
「初めての商業公演『王様と私』のお稽古帰りは、泣きながらカツ丼を食べました」
1月に誕生日を迎えて今年で25歳となった上白石は、2011年に行われた第7回「東宝シンデレラ」オーディションで審査員特別賞を受賞し、芸能界入りを果たした。周防正行監督によるミュージカルタッチの映画『舞妓はレディ』(14)で映画初主演を担い、新海誠監督作品『君の名は。』(16)では本格的な声優業にチャレンジ。近年は壮絶な人生を辿るヒロインに扮したNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」の熱演も話題となるなど、映画、ドラマ、舞台と幅広いステージで飛躍してきた。そんな彼女が芸能界入りを希望したきっかけは、「舞台に立つ人になりたい」と夢を抱いたことだという。
「物心ついた時には、歌うことや踊ることが大好きになっていて、自然と舞台に立つ人になりたいと感じていました」という上白石だが、幼少期に生の舞台に触れた記憶として残っているのは、劇団四季が“家族で楽しめるミュージカル”として敢行しているファミリーミュージカルだと述懐。「私は鹿児島出身なんですが、鹿児島って舞台の巡業がなかなかまわってこないんです。そんななか、劇団四季のファミリーミュージカルは鹿児島でも多くの公演を行ってくれていたので、小さなころからよく観に行っていました。もともと母がミュージカル好きで、家にはたくさんミュージカルのDVDもあって。そうやって楽しんでいるうちに舞台が大好きになって、地元のミュージカル教室に入りました」と振り返る。
憧れを追いかけて芸能界に入り、「私の確固たる原点」だというのが、2011年に東宝ミュージカルアカデミーの卒業生から選抜したキャストで行われたTMA-Extra「奇跡の人」だ。「ヘレン・ケラーを演じさせていただいたんですが、三重苦のヘレンを演じるために、指文字を覚えたり、見えない、聞こえない、話せないというのはどういう状態なんだろうと、たくさん想像を巡らせて。皆さんとみっちりお稽古を重ねながら、“自分とは違う人になる”ということにがむしゃらに挑んでいました。わからないことばかりで、アザを作りながらお稽古をしていましたが、その時に『お芝居っておもしろい、楽しい!』と思えたことが、私の大切な原点になっています」と明かす。
そして自身にとって初の商業公演として、プロとして活躍している役者陣と一緒に舞台に立ったのが2012年の「王様と私」。ヒロインであるアンナの息子、ルイス役を演じた上白石は「そこで私は、第一の壁にぶち当たりました。その経験も、私にとっての原点」と切りだし、「声も全然出ていないし、ちっともうまくいかなくて。厳しく指導していただいて、自分自身でも『これじゃダメだ』とものすごく落ち込んで。当時のマネージャーさんとお稽古帰りに、泣きながらカツ丼を食べたのを覚えています」と苦笑い。「楽しいという気持ちだけでやっているのとは、また別の世界に足を踏み入れたんだなという気がしました。当時の私は14歳くらいで、なにかの責任を背負うには、世の中の尺度としてはまだ早い年齢かもしれません。でもお金をいただいてお芝居をするということに、年齢は関係ない。それだけの覚悟はあるのか、というのをビシッと突きつけられた経験になりました」とプロとしての大きな学びを得たと語りつつ、「ルイスは、アンナ役の紫吹淳さんと手をつないで舞台に出ていくんです。するとたくさんのお客さんがみんなこちらを見ていて、ものすごく感動しました」と、舞台に立つ喜びもしっかりとかみ締めた様子だ。