大友啓史監督が『ザ・ホエール』ダーレン・アロノフスキーを語る「忘却された真実を不意に突きつけてくる恐ろしい人」
「チャーリーは、人間のあらゆる罪を背負って十字架にかけられるイエス・キリストのよう」
――本作は2012年に初上演されたサミュエル・D・ハンターの同名戯曲が原作になっています。この作品をアロノスフキーが発見したこと自体、運命的な気がしますね。
「本当にアロノフスキーのオリジナルみたいですもんね。おもしろい形で引用されるハーマン・メルヴィルの小説『白鯨』も然りですけど、やはりキリスト教の世界観が骨太のバックボーンになっているところは大きい。要するに“七つの大罪”――人間という存在が生まれながらに持っている原罪をいかにして克服していくのかという課題を、チャーリーという主人公に託して描いている物語だとも言える」
――贖罪の物語ですよね。
「おっしゃるとおりです。結婚して妻子のいた男が、男性の恋人との恋愛に走り、家庭生活が破綻。そして恋人の死も経験し、そのショックで肥満してしまったチャーリーの在り方は、すぐに自業自得だとか、社会システムとの関係性の中で断罪されてしまうことが多い。特にいまの日本って、自己責任的な“正義”の裁きを簡単に下す風潮が強いじゃないですか。でも本来、我々の罪が試されるまったく別の軸があるはずなんですよ。それは神との関係性である、ということ。人間の真実みたいなものを突き詰めて探究していく時に、目の前の罪をいちいちジャッジするんじゃなくて、我々が抱える問題を神との対面のレベルにまで持っていくことは非常に重要なんですよね。だから『ザ・ホエール』なんかを観ると、とりわけフィクションを構築する作業において、西洋的な世界観が持つ枠組みの強さを改めて実感します。
だからこの映画って小さな部屋が舞台なんですけど、まるで世界の縮図のように登場人物たちが集まってくるじゃないですか。チャーリーの別れた妻や娘、看護師のリズもいれば、新興宗教の宣教師を務めているという青年もやってくる。こういう室内劇を日本でやると、いかにも狭い私小説的なものになりがちですけど、『ザ・ホエール』は主人公も内側に潜っていっているはずなのに、“外と抗っている”感じがすごくするんですね。それは単に内面の悩みだけでなく、ある種シンボリックな肉体を与えて視覚化したってことと重なっている気がする」
――ルッキズムの問題に抵触するようなデリケートな主題に斬り込みつつ、人間の在り様を真摯に見つめることで、安易な批判を突破する攻め方は本当にすばらしいと思います。
「クリエイションの本質をしっかり見据えてサポートするA24というスタジオの気概と優秀さを感じますよね。そこの環境は僕からすると本当に羨ましいんですよ(笑)。たしかに『ザ・ホエール』の物語も、チャーリーのセクシュアリティとか、看護師リズ役にアジア系のホン・チャウ(アカデミー賞助演女優賞ノミネート)を起用するなど、多様性が担保されたなかで語られるものだし、現代のポリティカル・コレクトネスに対応した戦略的な部分も感じます。
だけどそのなかでまっすぐ伝わるのは、チャーリーのピュアでイノセントな想い。例えば彼が発作を起こした時、気付け薬として使うのは、娘が数年前に学校で書いた『白鯨』のレポートを読むことなんですよ。あの設定は親の立場としても感動しました。やがてチャーリーが、人間のいろんな迷いや煩悩を全部背負って、十字架に掛けられたイエス・キリストのように見えてくる。その姿はもう、掛け値なく美しいんですよね」
――人間の本性や欲望を全部可視化するとグロテスクなものかもしれませんが、その原罪や大罪を一身に引き受けて神のもとへ行こうとする象徴的な存在が、チャーリーだということですね。
「そう思います。凄い映画ですよね。しかもやはり、人間の肉体感覚をフルに覚醒させているところが現代への強烈なアンチテーゼだと思うんです。我々はみな罪深い存在であり、固有の肉体という牢獄を抱えている。だけどテクノロジーが及ぼす万能感のなかで普段はそれを見失っている。その忘却された真実を不意に突きつけてくる、恐ろしい人。それがアロノフスキーという監督です」
取材・文/森直人
1966年、岩手県盛岡市生まれ。 慶應義塾大学法学部法律学科卒業。 90年NHK入局、秋田放送局を経て、97年から2年間ロサンゼルスに留学、ハリウッドにて脚本や映像演出に関わることを学ぶ。 帰国後、連続テレビ小説「ちゅらさん」シリーズ、「ハゲタカ」、「白洲次郎」、大河ドラマ「龍馬伝」などの演出、映画『ハゲタカ』(09)の監督を務める。2011年4月NHKを退局し、株式会社大友啓史事務所を設立した。
おもな作品に『るろうに剣心』(12)、『プラチナデータ』(13)、『るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』(14)、『秘密 THE TOP SECRET』(16)、『ミュージアム』(16)、『3月のライオン』二部作(17)、『億男』(18)、『影裏』(20)、『るろうに剣心 最終章 The Final』/ The Beginning』(21)。東映創立70周年企画『レジェンド&バタフライ』が現在公開中。