是枝裕和監督と坂元裕二の特別講義をフルボリュームでレポート。『怪物』が生まれた経緯から脚本の構造、解釈までを語り尽くす
「“加害者”をどう描くかということが、長い重荷となっていた」(坂元裕二)
是枝「プロットを読ませていただいた時、読み進めていくという行為自体が非常にスリリングで、この物語を映画でやるのは挑戦的だとワクワクしました。皆さんが本編を観ている前提でお話しさせていただくと、第3章で子どもたちの視点になり、なるほど僕の名前が出たのはここだろうと感じました。この構成を受け止め、自分がどのように3部構成を作っていけばいいのかと、演出家の目で読んでいました。まだ細かく台詞が書き込まれてはいなかったのですが、時代に対して、物を作って伝えることに対してとても批評性の高い脚本だと思いました」
坂元「この作品の元を辿っていくと、2010年に『Mother』という作品を書いた時、尾野真千子さん演じるシングルマザーが芦田愛菜ちゃん演じる5歳の女の子を虐待して放置する。松雪泰子さんが演じた主人公がその女の子を救うのですが、視聴者や僕の身内からもシングルマザーに対する批判的な声がありました。それを受けて、本当は後半に裁判劇をやるはずだったのですが、急遽1話かけてシングルマザーの過去を辿る物語を書いたんです。その後、2011年に『それでも、生きていく』という作品を書き、ここでは風間俊介くん演じる文哉という男が小さな女の子を殺害し、刑務所に入り出所し、自分の妹や殺した子どものお兄さんと再会する。加害者を描くうえで、この文哉という人物をどう描けばいいんだろうかと繰り返し考えました。それまでやってきたことを試してもうまくいかず、結局“わからない”という結論のまま終わりました。
ちょうどそのころ、僕は1年くらいだけTwitterをやっていたのですが、是枝さんが『それでも、生きていく』を観てくださって、『加害者を描くのは難しいね』とツイートされていて胸が痛くなりました。そこで『ご覧いただいてありがとうございます』とリプライを送ったのが、僕と是枝さんの初めての接触でした。それ以来12年間、加害者をどう描くかということが私にとっての長い重荷となっていた。だからこそ、今回それを是枝さんとやりたかったのです」
是枝「『それでも、生きていく』は衝撃と共に当時オンエアーで観ておりました。この題材を書けること、演出も役者も正面からそれを受け止めて、ちゃんと成立させているところにリスペクトを抱きました」
坂元「テレビドラマでは、正義の人が悪い人を捕まえてお説教をすると改心するのが基本的なことで、昔からやり続けられてきましたし、僕も書いたことがありますけれど、実際はそうではない。だから書くたびに嘘を書いてしまったと溜まっていきました。登場人物が3人いたら、ひとりひとりの主観になりながら会話をさせて台詞を書き連ねていくことができればいいのですが、なかなかそうはいかない。瑛太くんと満島ひかりさんの役には成り代わって書くことができたけど、風間くんの役の主観にはどうしてもなれなかった。世の中には被害者の物語が溢れているけれど、加害者の物語はどんどんなくなり、むしろ描くことが困難になってきている。そのなかでどうすれば自分が加害者になって、お客さんに加害者の主観を体験してもらうことができるのかをずっと考えてきました。
会見などでしゃべってきたことですが、ある時僕が車を運転していて、赤信号が青に変わっても前の車がなかなか動き出さなかった。僕はクラクションを鳴らした。ようやく動き出した時に、前の車は横断歩道を渡ろうとしていた車椅子の方を待っていたことに気がついた。自分が見えていなかったせいで、車椅子の方に加害性を向けてしまったことにとても後悔しました。それをどのように落としこめば、お客さんに作品として体験してもらえるだろうか。自分が加害者としての主観を持つものを作りたいと考え、『怪物』では3部構成を選びました。安藤さん演じるシングルマザーの早織が、息子がいじめられてるのではと思って動き出す。でもそれは、瑛太くん演じる保利先生から見ると違って見える。それぞれに見えないなかで、誰かを傷つけていたという物語の構造になりました」