是枝裕和監督と坂元裕二の特別講義をフルボリュームでレポート。『怪物』が生まれた経緯から脚本の構造、解釈までを語り尽くす
「“火”で始まって“水”で終わる映画だと思っている」(是枝裕和)
※以降、『怪物』の結末に触れる記述を含みます。未見の方はご注意ください。
是枝「実は最初に宮沢賢治さんの『銀河鉄道の夜』が頭にふっと浮かび、ジョバンニとカンパネルラを重ねて黒川くんと柊木くんの2人に読んでもらったんです。柊木くんはなんでもできちゃう子なので、役について質問をしてこないタイプなのですが、黒川くんは湊の気持ちを100%掴んで出したいタイプで毎日のように僕やサクラさんや瑛太くんに質問をしていました」
坂元「この作品の最終意見としてではなく、あくまでもいちスタッフの意見として僕が言いたいのは、一択です。彼らはこのまま生きていくとしか思えない。完成した映画を観た時にも、彼らが別の世界に行ったとは僕は受け取らなかったんです」
是枝「脚本の段階で共通認識として、彼らが自分たちの生を肯定して終わろうというのがありました。もちろん映画を観られる方の多様な読みを否定するつもりはないですし、そういう悲劇を見たいという方もいるでしょうし、あのシーンで光に満ちていることがどこか現実離れして見えるというのもわからなくはないです。撮影の近藤龍人さんとも、あんまり光に包まれていると現実に思われなくなるんじゃないかと話しましたが、2人の心象風景だと思ったらあそこは光に満ちているほうがいいだろうとなりました。
それにあのシーンで、坂本龍一さんの『Aqua』という音楽を使わせていただいています。僕はこの映画は“火”で始まって“水”で終わる映画だと思っていて、この曲はなにかを寿いでいる。彼らがもう一度生き始めることを祝福して終わるのだと感じていました。ただ、祝福される子どもたちの世界に、僕らは置いて行かれている。僕らは嵐のなかに残されているけれど、子どもたちは光に包まれたところに走り出した。そういうものにしようと考え、撮影の時には2人にもそのように伝えていました」