『ヘレディタリー/継承』から『ミッドサマー』、『ボーはおそれている』へと続く狂気の作家性…アリ・アスター作品に深く入り込むための要素を解説
家族や身近な人物に対する葛藤、不均衡な関係性を映像化
本作とアスターの前2作の共通点で、もう一つ、大きな要素といえるのが家族間の葛藤だ。『ヘレディタリー/継承』には、アニーを中心とした、子どもたちや夫、彼女の亡き母親に対する葛藤が絡み合い、物語を動かしていた。『ミッドサマー』の主人公であるダニーも、先に述べたとおり、妹の自殺と、道連れとなった両親の死で天涯孤独となり、心の支えとなるのは恋人だけという状態だった。
そして『ボーはおそれている』では、ボーと母親との間に生じた、複雑すぎる関係が重要な要素となっている。本作を観ると、ここまで恐ろしい母子関係が、この世に存在するのだろうか?と思えてくる。ちなみに、筆者は先日アスター監督に取材したが、本作で描かれた母と子の関係は、アスター監督と母の関係とは対極にあるので心配しないでほしいとのこと。
インパクトある強烈な演出術も魅力
映像面では、ここぞという場面でのキャラクターの表情のクローズアップはいつもながらに鮮烈。本作ではホアキン・フェニックスという強烈な個性を持ったアカデミー賞アクターを主演に据えたことで、よりインパクトを増した感がある。一方で、暴力的な描写は前2作に比べると控えめだが、シャンデリアが頭に落下して頭部がグシャグシャになったという、母の怪死の夢想は、やはり鮮烈だ。
『ボーはおそれている』のインパクトの源泉には、これらのディテールがあるのは間違いない。アスターはこのディテールを武器にして、ボーの内面へとズンズンと踏み込んでいく。荒れ果てたアパートを飛びだしたボーの旅は、心優しい一家との上辺だけの短い幸福の時、森の劇団との遭遇、そして母の実家で直面する衝撃の事実へと連なっていくが、それぞれの局面で予想外の出来事が相次ぎ、ボーの精神はさらに歪んでいく。
この狂気を受け止めることこそ、『ヘレディタリー/継承』&『ミッドサマー』で“どん底気分”を経験した観客のための、最高に贅沢なエンタテインメントなのだ。
文/有馬楽