『陰陽師0』安倍晴明の若き日を演じた山崎賢人、俳優業の原点は「サッカー」!佐藤嗣麻子監督も俊足に驚愕
映画『陰陽師0』の公開記念舞台挨拶が4月20日に丸の内ピカデリーで開催され、山崎賢人、染谷将太、奈緒、安藤政信、板垣李光人、佐藤嗣麻子監督が登壇。サプライズゲストとして、本作のメガホンをとった佐藤監督の夫で、映画『ゴジラ-1.0』などを手掛けた山崎貴監督が公開のお祝いに駆け付けた。
原作は、平安時代に実在した“最強の呪術師”安倍晴明の活躍を描き、シリーズ累計発行部数680万部を超える夢枕獏のベストセラーシリーズ。安倍晴明(山崎賢人)が、陰陽師になる前の知られざる学生時代をオリジナルストーリーでつづる。『K-20(TWENTY) 怪人二十面相・伝』(08)や「アンフェア」シリーズの佐藤嗣麻子が監督・脚本を務めた。山崎は「昨日、初日を迎えて、やっと皆さんに観ていただけることをうれしく思っています」としみじみ。「35年前に、夢枕獏さんと映画化するという約束をした」という佐藤監督は、「35年かかって、公開することができました。光栄ですし、幸せです」と感無量の面持ちを見せた。
安倍晴明の原点を描く本作にちなみ、それぞれが「自分の原点」をフリップに書いて告白する場面もあった。「サッカー」と答えた山崎は、「小学校から中3までやっていた。楽しみながら、一生懸命やるということはいまの仕事にも通じる。個人プレーでもあるし、チームプレーでもある」とコメント。「やるならプロになりたいと思っていた」と打ち込んでいたことを回想し、「根っこの部分は、サッカーで培いました」といまの自分を作ってくれたのはサッカーだと話した。佐藤監督は「足が恐ろしく速い」と惚れ惚れとしていたが、山崎は「ボールを追いかけている時のほうが速かった。運動会とか短距離走の時も、ボールがないかなと思っていました」とにっこり。アクションシーンでもボールがあったら「もっと速く走れたかも」と続けると、佐藤監督が「蹴鞠?」と提案。山崎も「蹴鞠があったらもうちょいスピードアップしていたかも」と乗っかり、会場の笑いを誘っていた。
また染谷は「ジャッキー・チェン。子どもの時にジャッキー・チェンが好きで、映画が好きになった。ジャッキーがいなかったら、ここにいない」、奈緒は「福岡。地元がなかったらここにはいない」、安藤は「写真、スケートボード、音楽などのライフスタイル」、板垣は「両親。気になったことは全部やらせてくれた」と各自がフリップを掲げるなか、佐藤監督は「夢枕獏さん。獏先生がいなければ、この映画も存在しない」と改めて念願がかなった喜びを噛み締めていた。
最後には佐藤監督の夫である、山崎貴監督がサプライズ登壇して佐藤監督に花束をプレゼント。夫の来場を知らされていなかった佐藤監督が「朝、ずっと寝ていたんですけど」と驚くなか、山崎監督は「公開おめでとうございます」と祝福の言葉を贈った。
同じ専門学校の出身だという2人だが、山崎監督は監督デビューする前に、佐藤監督のVFXを担当していたという。山崎監督は「最初は(VFXを)やってあげるという感じでやっていた。そうしたら『山崎くん、あなたの名前が出るのにこんなのでいいの』と言われたり、すごく怖い監督になった」と当時の佐藤監督の指導についてぶっちゃけつつ、「こんなにツライ思いをするなら、自分の作品を作ろうと思って監督になった。ある種、原点」だと楽しそうに告白。「うちではお互いの作品のことは、求められる限りは一切ノータッチ。だから今回も脚本も読んでいなかった」というが、実際に完成作を観たところ「よかったです、本当に」とすばらしい出来栄えだと絶賛。「これを作りたかったんだなと。彼女が長い間『陰陽師』を作りたくて苦労していたのをそばで見ていたので、やっとその想いが成就して。いままでの戦いが無駄じゃなかったんだと思った」とこれまでの道のりに敬意を表しながら、妻を労った。照れ笑いをのぞかせた佐藤監督は「ありがとうございます」とお礼を述べると、山崎監督は「あの展開はうまいなと思った。みんながやりたがるのは、これだよなと思った」とラストシーンは嫉妬するほど感動的だったと話していた。
取材・文/成田おり枝
※山崎賢人の「崎」は「たつさき」が正式表記