「サムシクおじさん」でドラマ初出演。韓国の“演技の神”ソン・ガンホは、いまなお進化し続ける
庶民的なキャラクターでこそ真価を発揮!
特異な人物ではなく、誠実に生きる庶民役で発揮するリアルな存在感がまた絶品。不安定な60年代を背景にした『大統領の理髪師』(04/イム・チャンサン監督)では、たまたま大統領の理髪師になったことで時代の渦に巻き込まれていく純朴な人物を生活感たっぷりに演じた。図らずも歴史の1ページに足跡を残す市井の人という役どころでは、『タクシー運転手 ~約束は海を越えて~』(17/チャン・フン監督)も印象深い。政治に関心などなかったタクシー運転手のマンソプがドイツ人記者を乗せて動乱の光州を訪れ、弾圧される人々を目の当たりにしたことで、彼らのために泥臭く駆けずり回る姿が胸を打つ。1200万人以上を動員した『タクシー運転手~』は、ソン・ガンホ出演作では『グエムル』に次ぐ興行的成功を収めた。ちなみにこの2作に続くヒット作は、故ノ・ムヒョン大統領をモデルとした『弁護人』(13/ヤン・ウソク監督)で、ここでも俗物から正義感あふれる弁護士へと変貌する様子を自在に演じて感動を誘った。
こうして見ていくと恋愛映画がまず見当たらないことに気づく。そんななかで『シークレット・サンシャイン』(07/イ・チャンドン監督)で演じたジョンチャンは最も愛に満ちた人物だ。地方都市で自動車修理工場を営む独身者のジョンチャンは、ソウルから息子を連れて転居してきた女性に惹かれ、何かと世話を焼くが相手にされない。それでも、子供が殺されてしまったことで病んでいく彼女を無言で支えるようになる。二人がロマンチックな間柄へと進展するわけではないし、普通の恋愛映画のようにときめく場面も描かれないが、じっと彼女のそばにいるジョンチャンを見ているだけで胸がいっぱいになってくる。
『グリーン・フィッシュ』以来10年ぶりに息を合わせたイ・チャンドン監督は、ソン・ガンホを「自分が前に出るのではなく、作品全体を見て配慮するとても頭のいい俳優」と評した。本作でカンヌ女優となったチョン・ドヨンもこれに大きく同意する。この頃から国内外で“不世出”“世界最高”とあらゆる賞賛を受け続け、ついに『ベイビー・ブローカー』(22/是枝裕和監督)でカンヌ国際映画祭主演男優賞に輝いた。韓国男優初の快挙ではあるが、これをキャリアの頂点とせず、さらなる進化を続けている。
最初に触れたように、「サムシクおじさん」でドラマに初出演したことも新たな挑戦となった。朝鮮戦争の傷跡がまだ残る1960年、政財界の裏で暗躍するサムシクおじさんことドゥチルは壮大な“計画”を抱いて、国を憂える若き官吏や功名心あふれる軍人に接近し、言葉巧みに彼らを操っていく。人懐っこく親しみやすい一方で冷酷な面も持つ、どこか捉えどころのないドゥチルは、人間の多面性を演じさせたら天下一品のソン・ガンホの真骨頂とも言える役だ。脚本も手掛けたシン・ヨンシク監督とは、ドラマの前に撮影した映画『1勝(原題』(公開待機中)で信頼関係が築かれた模様。こちらも楽しみだが、まずは全16話のドラマを通して神業演技を堪能する贅沢に浸りたい。
文/小田 香