洋画興行の危機、ファンダムビジネスの最大化…日本の映画興行の”健全さ”はどこに向かう?【宇野維正「映画興行分析」刊行記念対談】
映画ジャーナリストの宇野維正氏による著書「映画興行分析」が、7月3日に発売された。2015年から毎週連載してきた「映画興行分析」の約400本におよぶ記事を再編集し、まとめた大著だ。帯には『君の名は。』から『オッペンハイマー』まで、とある。だが、宇野が「一世代も経たない間にここまではっきりと洋高邦低から邦高洋低へとひっくり返ったジャンルは他にないだろう」と触れているとおり、ハリウッド映画から日本の、しかもアニメ―ション映画が実質的に国内の映画産業を支えるようになった10年だったと言える。
筆者は、「ハリウッド映画の終焉」刊行時、それからコロナ禍まっただ中に刊行された共著「2010s」でも、1万字を超えるロングインタビューを行ってきた。今回は、観客のファンダム化、日本のIPのグローバル化による収益増加といった、著書でも取り上げられているトピックをなるべく前向きに捉え、映画興行10年史を振り返ってもらおうとインタビューに臨んだが、まったく明るいとは言えないウェブメディアの今後や課題も突きつけられ、次第に宇野氏から「今回は対談形式にしよう」と言われた意味がわかることとなる。 “激変”――ネットメディアの見出しのような言葉を使わざるを得ないほど、様変わりした映画興行について、たっぷり語り合った。
ちなみに「映画興行分析」には、資料としての価値はもちろん、リアルタイムに書かれ続けたからこそのおもしろさがある。宣伝・プロモーション方針への問題提起、見出しだけでひとり歩きする言説への憤り、サプライズヒットへの素直な驚き、「ヒット作独り勝ち」現象の出口のなさへの焦れ、頭角を現しつつある作家へのエール。振り返って考察することでは決して得られない、ビビッドな読み応えがあるので、528ページという分厚さにひるまず、手にとってほしい。
「売れてる理由を考えることは、そのジャンルの入り口に立つことだと思う」(宇野)
下田「私は映画ジャーナリストとしての宇野さんにインタビューや批評のお仕事を依頼する機会が多かったので、『映画興行分析』のような史料性の高い本を刊行されたのはちょっと意外だったんですね。連載時にも読んでましたが、その連載も『リアルサウンド映画部』という媒体を立ち上げる際に必要に駆られて、主筆(当時)としての意図が先行しているものだと勝手に思っていて。でも、今回『映画興行の分析記事を読むのが好きだった』という一文から始まる“おわりに”を読んで、宇野さんにとっての“映画についての文章を読む原体験”はむしろそっちだったのかと気づかされました」
宇野「どうして自分が小学生の時から『キネマ旬報』の興行記事を読んでいたのかっていうのは、ネット上の記事に載っちゃうのは抵抗があるので、この本の“おわりに”を読んでほしいんですが(笑)、映画興行分析の連載を10年近くしてきたなかで、一番多かった批判が『批評家やジャーナリストを名乗っているくせに、作品について書いてないじゃないか』というもので。『え? 興行成績についての連載ってちゃんと明示してるのに』とずっと思ってきました。それに、批評と興行分析がまったく別のものだとも自分は思ってないんです。それは、“おわりに”に書いたことが一つと、もう一つは自分にとって恩人の一人でもある渋谷陽一さんが、若い頃から繰り返し言っていた『いいものが売れるんじゃなくて、売れるものがいいんだ』という思想で」
下田「世代的に、渋谷さんの批評活動についてそこまで詳しくないんですが、本当にそういう考えを持っているということですか?」
宇野「評論家やインタビュアーとしての彼の一つの姿勢で、本音では売れるものすべてがいいなんて彼も思ってはいないはずなんですけど、重要なのはその思想の根底にあるオーディエンス、観客に対する信頼ですね。その信頼は、雑誌だけじゃなく、彼が作ってきたフェスにも貫かれています。メディアを作るというのはそういうことなんだということを、自分は20代、30代の頃に仕事の現場で叩き込まれてきたわけですが、それ以前に10代の頃から彼の文章を通してその思想に接してきて、それは、いろいろこじらせがちな10代の少年にとっては目を見開かされるような体験だったわけです。まあ、『それこそがこじれてるんじゃないか?』っていう見方もされそうですが(笑)」
下田「『売れてるものがいい』というスタンスならば、興行を分析することにも批評性は生じるはずだということですか?」
宇野「もちろん自分も『売れてるものがすべていい』とは思ってません。でも、売れてる理由を考えることは、そのジャンルの入り口に立つことだと思うんですよね。実際、数字については誰でも語れるし、ネットの掲示板やソーシャルメディアによって速報性と言論の民主化が一気に進んだことと、作品のファンダム化が進んだことで、以前にも増してみんなが興行成績について語るようになった。一方で、じゃあメディア側が出す記事がその物量に拮抗できるだけの質の高い記事を提供できているかというと――」
下田「日本の映画メディアに絶望しているという話になってしまう…?」
宇野「もしかしたら自分の連載もきっかけの一つとなって、近年はプロの書き手ならではの興行関連の記事も増えてきたような気もしてますが、少なくとも連載を始めた2015年の時点では、特にウェブメディアの記事はスポーツ新聞や民放の情報番組と変わらないような酷いものばかりでした。興行通信社が公表している情報と、あとは配給会社や宣伝会社のプレスリリースを書き写しただけみたいな」
下田「『映画興行分析』ではウェブメディアでこの連載を始めた理由として『どこにも忖度をしない映画興行分析の連載をこのサイトの軸にしよう』と書かれていました。映画業界への配慮みたいなものが見え隠れする記事が蔓延しているなかで、自分だったら違う興行分析ができる、みたいな気持ちもあったのでしょうか? 数字は誰にでも開かれているけど、そこに文脈やバックグラウンドを付加して“読み物としておもしろい興行分析”にしよう、というような」
宇野「もちろんそれもありますが、最初の頃はちょっと不純な動機もあって、メディアを含めた日本の映画業界に対して、言いたいことを言うための口実として利用しているようなところもありました。数字で客観性を担保した上で、そこに主観を忍び込ませて、一定の共感を集めるレトリックというか。それを使いすぎていたこともあって、2015年下半期から2016年上半期の最初の約1年分は今回の本には入れませんでした。これ以上のボリュームになると、本の価格を抑えられないという理由もあったんですけどね。あと、連載を始める時に意識したのは、ちゃんと予測をすることです。というのも、海外の映画メディアの興行分析記事の多くは、プロによる予測に重きを置いていて。一方、日本のメディアは興行の予測をすることを極端に避けます。なので、そこは世界基準のつもりでやってきて、もちろん予測なので大きく外れることもあったんですけど、外れたものも含めてちゃんとズルをせずに本に残してます」
下田「約10年書き続けてきて、アプローチの仕方はどのように変化してきたんでしょう?」
宇野「だんだんウェブの記事で共感を集めることやページビューを稼ぐことへの関心はなくなって、それよりも記録として残すことに意義を見出すようになりました。特にコロナ禍以降は『これは大変なことになってるぞ』という危機感が強まっていきましたね。コロナ禍の最中はなによりも映画興行そのものが危機に瀕していたわけですが、そこを抜けてからも外国映画が全然当たらなくなっていて。一方で、入場者プレゼントの常態化もあって、一部の国内アニメーション作品のヒットの規模やランクインする期間の長さが変わってきた。だから、個別の作品についての分析というより、この変化をどう捉えるかという方に意識を向ける必要がでてきた感じですね。もう悠長に“言いたいことを言う”ような時代ではなくなってしまった」
下田「ヒットの分析が難しいというよりも、状況の変化によって読み筋がなくなってきている?」
宇野「そうですね。日本の映画興行の内実は、すっかり入れ替わってしまったように思います。自分はいま、2つのことをとても不思議に思っていて。一つは、『2010s』や『ハリウッド映画の終焉』の刊行時に下田さんがインタビューしてくれた記事の中でも言ってきたことですが、映画の仕事をしている人たちが、どうしてNetflixやHBOやAmazonやAppleの同時代のテレビシリーズにこんなに無頓着でいられるんだろうということで」
下田「宇野さんはずっとそのことを言ってますね」
「映画の最前線でなにが起こっているかを把握してなければ、作品をちゃんと届けることもできない」(宇野)
宇野「観客は別にいいんですよ。でも、その観客を育てる側が、あまりにもテレビシリーズに無関心というか、実際にインプットしてる方はいると思うんですけど、アウトプットもしてる方は極端に少ない。いまどき映画界でハリウッドのメジャースタジオの仕事だけしている監督なんてクリント・イーストウッドとかスティーヴン・スピルバーグとか、本当にごく一部の巨匠だけで、そのスピルバーグだってテレビシリーズで頭角を現した役者を積極的に自分の映画でキャスティングしている。それなのに、編集者でも宣伝会社の人でもそういう話が通じる人と通じない人の情報格差が激しくて、途方に暮れてしまう。映画の最前線でなにが起こっているかを把握してなければ、作品をちゃんと届けることもできないじゃないですか」
下田「その媒体が取り扱っているかどうかというよりも、中で仕事をしている人たちの話ですか?」
宇野「どっちもですね。下田さんのように、自分が頻繁に仕事をしている編集者とはこういう話ができるからまだいいんですが。事情はわかるんですよ、テレビシリーズは広告費や宣伝協力費が出にくいとか、ページビューを稼ぎにくいとか。でも、じゃあ他の記事で全部ちゃんと広告や宣伝協力費を取れてるのかとか、ページビューを獲れてるのかといったら、そんなことないですよね?」
下田「各メディア、扱う対象作品の線引きも悩んでると思いますよ。MOVIE WALKER PRESSは、“映画館で上映されている(時期)”ד映画(種別)”から離れるほど扱う優先度は下がります。でも、自分自身も含めて映画ファンが映画とテレビシリーズ関係なく行き来しているのはわかっているし、『こういう映画が好きな人には、「一流シェフのファミリーレストラン」が刺さるだろうな』みたいなことっていっぱいある。韓国の俳優なんかは特に顕著ですが、ハリウッドの俳優だって、テレビシリーズの代表作を挙げずにキャリアを紹介するのは不足がある。“映画館でかかるかどうか”だけじゃなくて、そこの嗜好はもう少しつなげたいですけどね」
宇野「配信プラットフォーム側から、テキストメディアがあまり当てにされてないというのは感じますよね。『やり方によってはうまくやれるはず』ということは、機会があるごとに自分も伝えてはいるんですけど。で、もう一つは、前著の『ハリウッド映画の終焉』に続いて今回の『映画興行分析』でもテーマにしているように、日本でも、そして北米でも、コロナ禍以降これまでの映画興行そのものの足場が崩れつつあるわけですが、その危機感がどれだけ共有されてるのかなってことで」
下田「2023年の北米の年間興行収入は前年比20%増の約90億ドルと、”復活の年”と呼べる成績でしたが、コロナ以前の2019年までは、10年以上、100憶ドルを突破していました(※Box Office Mojoより)。それに全米脚本家組合と全米映画俳優組合によるダブルストライキの影響も大きく、2024年は前年割れとなる可能性がかなり高いですね。パラマウントのように、買収の噂が絶えないメジャースタジオも出てきました」
宇野「ディズニーによって買収された20世紀フォックスも、Amazonによって買収されたMGMも、事実上、歴史ある名門メジャースタジオの消滅ということですからね。これからもその動きは止まらないでしょう。そういうことを、事実としてはある程度認識はしていても、それがもたらす影響や、そうした状況に輪をかけて日本で外国映画が観られなくなっているということについて、みんなどれだけ真剣に考えてるんだろうって。だって、それって立場によっては仕事そのものがなくなるってことでしょ?」
下田「配給会社も宣伝会社も編集者も、自分ごととして考えなくてはいけないことですよね」
宇野「会社員は転職や転属をすればいいかもしれませんが、特に映画ライターなんて、一番最初に失職する立場です。実際、北米では多くのライターが、これまで仕事をしていたメディアがなくなって失職したり、有力ライターも個人ブログをサブスクリプションで運営することで生計を立てたりしている。自分は映画ライターを名乗ったことはありませんが、数年前から先を見越して、いまではYouTubeとポッドキャスト出演と今回のような著作が、映画の仕事の三本柱になりつつあります。まあ、下田さんとは劇場パンフレットや映画監督のインタビュー連載の仕事を長いこと一緒にやらせてもらってるわけですが(笑)」
下田「そうですね(笑)。『映画興行分析』の中で、宇野さんは『もしかしたら「トップガン マーヴェリック」が興収100億円を超える最後の外国映画かもしれない」と書いてましたよね?」
宇野「実写映画に限ったら、その可能性は高くないですか?」
下田「うーん、公開前に『ボヘミアン・ラプソディ』が130億円を超えることになると予想していたか…みたいな例もあるので、”事件”には期待したくなっちゃいます」
宇野「確かに。でも、つまりはもう、外国映画のヒットはすべて事件というか“アクシデント”なんですよ。『ボヘミアン・ラプソディ』にせよ『トップガン マーヴェリック』にせよ、ヒットの規模は違うけどサプライズヒットとなった『RRR』にせよ。そこにはかつての『ハリー・ポッター』シリーズや『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズのような再現性がない。『スター・ウォーズ』だって、次は何年後になるかわからないけど、もう100億超えなんて夢のまた夢でしょ?」
1970年、東京都生まれ。映画・音楽ジャーナリスト。米ゴールデン・グローブ賞国際投票者。「リアルサウンド映画部」アドバイザー。映画誌やファッション誌での連載のほか、YouTubeやPodcastでも精力的に活動。著書に『1998年の宇多田ヒカル』(新潮新書)、『くるりのこと』(くるりとの共著、新潮社)、『小沢健二の帰還』(岩波書店)、『日本代表とMr.Children』(レジーとの共著、ソル・メディア)、『2010s』(田中宗一郎との共著、新潮社)、『ハリウッド映画の終焉』(集英社新書)などがある。
■イベント情報
『映画興行分析』刊行記念トークショー
出演者:宇野維正、さやわか
日 時:2024年7月13日(土)19時~
配信サービス:Zoomウェビナーにて配信
配信期間:2024年7月13日(土)19時~2024年7月28日(日)23時59分(アーカイブ視聴可)
参加対象者:blueprint book storeにて書籍『映画興行分析』を購入した方