2000年から早くも四半世紀!シネコンの隆盛、『アバター』による3Dブーム…映画界の25年のムーブメントを振り返る
“ミレニアムイヤー”として世界中が沸いた2000年から、早いもので四半世紀というタイミングを迎える2025年。この長いような短いような月日のなかで、映画界には様々な変化があった。25年間での印象的なトピックをここでは振り返っていきたい。
2000年の映画ニュースをおさらい!
まずは25年前、2000年の映画界についてざっとおさらい。日本、世界共に興行収入で1位となったのは、トム・クルーズ主演の人気スパイアクション「ミッション:インポッシブル」シリーズの第2作『M:I-2』。日本では97億円を叩きだし、現在までシリーズ最高額となっている。
ちなみにこの“興行収入”という発表のスタイルも、それまで使用されていた配給収入(興行収入から劇場の取り分を引いたもの)から2000年のタイミングで切り替わっている。
また、日本興収トップ10のうち実写の邦画は42億円を稼いだ『ホワイトアウト』のみと、この頃といえば邦画よりも洋画の人気が高かった時代。だが、『ゴジラ2000 ミレニアム』(99)が全米で2000スクリーン以上で公開されたり、深作欣二監督の『バトル・ロワイアル』がその内容から物議を醸した末にヒットを記録したりと、邦画の印象的なトピックもいま思い出すと懐かしい。
2000年初頭から日本でシネコンが急増!
そんな2000年の映画界の出来事で印象的なのが、お台場の「シネマメディアージュ(のちのユナイテッド・シネマ アクアシティお台場)」や「ワーナー・マイカル・シネマズ板橋(現:イオンシネマ板橋)」といった大型のシネコン(シネマコンプレックス)が都内に続々とオープンしたこと。東映系のシネコン事業であるティ・ジョイが創設され、第1号となる「T・ジョイ東広島」を開業したのもこの年だ。
1990年代中頃から外資系企業によって地方から増え始めたシネコンは、2000年代初頭には邦画大手が都内のロードショー館を畳み、シネコンへと生まれ変わらせ、毎年何十館もオープン。急激にその数を増やしていった、2000年以降定番となった劇場のスタイルだ。
なお2000年代末頃からは一時の勢いは落ち着いたものの、その後もコンスタントに館数を増やし、全国の総スクリーン数3,653スクリーン(2023年時点、一般社団法人日本映画製作者連盟調べ)のうち3,244がシネコン。業界内で88.8%のシェア率を誇っている。2023年に「新宿ミラノ座」の跡地に建設された歌舞伎町タワー内の「109シネマズプレミアム新宿」という高級志向のシネコンも誕生したが、今後もユニークな特徴を持ったシネコンが誕生するのだろうか。