「テレビが伝えてきた謝罪は、電波で増幅された“儀式”かもしれない」…「飯沼一家に謝罪します」大森時生&寺内康太郎が語るテーマ
「現代社会の“謝罪”は、誰が誰に謝っているか分からない“儀式”になっている」(大森)
――制作発表時にみなさんが出されたコメントについて伺います。寺内監督は「現実のように複雑な構成と、シンプルな演出を心掛けました」とコメントしてらっしゃいましたが、“現実のような複雑さ”とはどういったことでしょうか?
寺内「フェイクドキュメンタリーは、どれだけ現実味を持たせることができるかだったり、その感覚がいかにどれだけ世の中と合っているかがすごく大事だと思います。例えば現実では、同じ名前の人物がいたりとか、フィクションとは違った複雑でややこしいことがあると思います。“現実”って、物語を語るうえでは不親切なものだと思うんですが、今回はそんな現実を取り入れていきながら、展開としてちゃんと1本の筋道を作っていくことを意識していました」
――現実的という点では、今回のキャストもみなさん絶妙にリアルさを感じさせる方々でしたね。
大森「そうですね。『飯沼一家』のキャストは、みなさん特にお上手だったなと思います」
寺内「『TXQ』の撮影を進めるにあたっては一般的な意味での台本と言えるような明確なものを用いていないので、予定にないことをあえて言わせたりして、役者さんに素になってもらおうという意識がありました。演者と演出がお互い勝負しているような気持ちで徹底的に楽しむというか、それはフェイクドキュメンタリーを作る醍醐味でもあります」
――大森さんは「謝罪をすれば、罪を償ったことになるのでしょうか」というコメントをされていましたが、“謝罪番組”というモチーフに関して、現役のテレビマンとしてどのように捉えていましたか。
大森「現代社会においての“謝罪”というのが形骸化していると感じていたのが一番大きいですかね。謝罪もSNSの発達と共に独自の進化を遂げて、もうほとんどの謝罪が、誰が誰に謝っているかも分からないし、誰がなんのためにやっているのかも分からないということも多いのではないかと思います。“ご不快に思われた方がいるのだとしたら謝ります”みたいな、仮定法の謝罪とでもいったトリッキーなものまで出てきたり、禊、通過儀礼、言い方はさまざまですが、これは“儀式”なのではないかと思ったんですよね」
寺内「確かにそうですね。謝罪会見のテレビ中継ってまさに儀式みたいですよね」
大森「謝罪している様子の中継って、特定の誰かに謝っているんじゃなくて、儀式をテレビという電波に載せることによって、その効果を増幅しているように見えるんですよね。言わば見せしめのような。ああいうものがテレビで流れたのが不気味だったという不快感もすごい記憶に残っているし、今回『飯沼一家』を見て、かつてテレビが伝えてきた“謝罪”について思い出す方もいるのではないでしょうか」
――ちなみにいまの大森さんにとって謝罪とは?
大森「『飯沼一家』の制作を通して、罪を償いたい、許してほしいという意識が存在しない時に出る謝罪が、ある意味において本当の謝罪と言えるのかもしれないと思いました」
「作品を観てくださった方には、どうか彼らを赦してあげてほしいと思います」(寺内)
――制作を終えて、「飯沼一家」の結末についてはどう感じていらっしゃいますか。
寺内「最後まで作品を観てくださった方に願うのは、作品内の彼らを赦してあげてほしいということです。個人差はあると思いますが、人間誰しもが少なからず罪を抱えていると思います。この作品で描かれているものは到底許される行為ではないし、許す方法もない、観ていて嫌な気持ちになるかもしれないです。でも、最終的にはどうか彼らを赦してあげてほしいなと思います」
大森「『謝罪します』というタイトルだけど、結局謝罪は完遂できたのかわからない。ただ、気付いたらもう後戻りできないところまで行ってしまっていたという話だと思うんです。でも、現実の罪も9割9分そうではないかと思っていて、例えば他人に酷いいじめを働いた過去があったとして、どんなに心から反省して、直接の機会をいただいて謝罪したとしても、もう本当は意味のないことなのかもしれません。過去は変えられない。そういう本当にどうにもならないことと向き合えている人って、なかなかいないと思うんです」
寺内「その点では、僕らのしていることの是非もわからなくなりますね。フェイクドキュメンタリー自体も、時代が変われば自ずと罪深いことになるのかもしれない。言ってみれば、嘘なので。価値観が変容すれば罪にもなり得るものですよね」
大森「そうですね。なにが罪になるかはわからない、誰がいつ一生取り返しがつかない罪を犯してしまうかも分からないのだと思います。個人の感覚とフィクションとが接続されるような、『イシナガキクエ』とはまた違う体験を味わっていただきたいと願っています」
取材・文/小泉雄也