1964年東京パラリンピック“幻のドキュメンタリー”から見える、2020年への課題とは?|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS
1964年東京パラリンピック“幻のドキュメンタリー”から見える、2020年への課題とは?

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1964年東京パラリンピック“幻のドキュメンタリー”から見える、2020年への課題とは?

【写真を見る】世界初のパラリンピックの貴重な記録映像が、いま蘇る!
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1964年に行われた東京パラリンピックを記録し、1965年の公開以後ほとんど上映される機会がなかった幻のドキュメンタリー映画『東京パラリンピック 愛と栄光の祭典』(65)を上映する「映像が伝える、東京1964パラリンピック」が13日に上智大学四谷キャンパスにて開催。上映後のトークショーに上智大学名誉教授の師岡文男とNHK解説委員の竹内哲哉、株式会社KADOKAWA映像統括センターディビジョンマネージャーの野久尾悟が登壇した。

世界で初めて「パラリンピック」という愛称が使用された大会として知られる1964年の東京パラリンピック。撮影監督として多くの大映作品に携わってきた渡辺公夫監督がメガホンをとった本作では、東京オリンピックの閉幕後の東京の街の様子から幕を開け、国際身体障害者スポーツ大会に参加する日本人選手たちそれぞれの背景が語られていく。そして、世界各国から来日した海外の選手たちとの交流によって浮き彫りになる社会福祉制度の違いなど、日本における障がい者スポーツ黎明期の様子が描かれるなかで、“東京パラリンピック”が幕を開ける。

上映後のトークショーで、発掘の経緯が明らかに!
上映後のトークショーで、発掘の経緯が明らかに!

上映終了とともに大きな拍手で包まれた場内。「この映画がどのようにできたのかをまずお伝えしたい」という野久尾の言葉とともに、本作が製作された経緯について解説されていく。「大映にいたカメラマンの上原明さんがパラリンピックの記録映画を製作したいと思い立ち、いまの金額で億単位の製作資金をご自分でお集めになり、先輩カメラマンの渡辺公夫さんが監督を務めた」と振り返り「依頼をされたわけではなくとも、映像として残さなきゃいけないという映画人の気概があったと思います」と称える。

そして、大映株式会社にその後訪れる経営危機の中で資料が散逸してしまったなかで、大映作品のフィルムを残そうとした社員がいたことを明かし「フィルムは残っていたけれど、1600作品ものアーカイブのリストの1行でしかなかった。どんな作品なのか誰もわからず、誰にも注目されない作品になっていた」と振り返る。そんな中で2013年に、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会が開催されることが決まり社会的に関心度が高まったことと、株式会社KADOKAWAの社内でアーカイブをふたたび世に送りだすという動きが起きたことがマッチし、約半世紀の時を経て本作が発掘されたという。

日本の選手たちの抱える背景や、当時の障がい者スポーツを取り巻く環境が映しだされていく
日本の選手たちの抱える背景や、当時の障がい者スポーツを取り巻く環境が映しだされていく

「1964東京パラリンピック大会 報告書」によると、資金の都合で運営委員会としての作品を製作することができなかったなかで、各機関の自主製作による記録映画がいくつも作られたとのことで、本作を含めて6作品がその主な作品として記録に残っている。しかしながら、フィルムが現存する作品は本作とNHK厚生文化事業団ビデオライブラリー所有の『パラリンピック東京大会』(7月19日の「映像が伝える、東京1964パラリンピック」で上映される)の2作品のみ。

この状況について竹内は「おそらくすべてが違う視点で撮られている6作品が全部見つかると、1964年というのはこういう時代であり、2020年をどういう時代にしていかなきゃいけないのかが分かる」と、障がい者スポーツのみならず障がい者を取り巻く社会の整備に役立てていけることへの期待をのぞかせる。

そして2020年に向けて「1964年には多くの人々の取り組みが形になったが、この55年の間にそれが何処かへ消えてしまった、とならないためにメディアとしてなにができるのか考えていきたい」と述懐。それを受けて諸岡名誉教授も「その時の盛り上がりだけでなく、良い面も悪い面も含めて後世に残していくことが責務。官も民も手を取り合って、レガシーとして後世に伝えていただきたいと思います」と語った。

取材・文/久保田 和馬

タイトル:『東京パラリンピック 愛と栄光の祭典』
製作:<日芸綜合プロ>上原 明
監督・脚本・撮影:渡辺 公夫
配給:KADOKAWA