『とんび』では阿部寛&北村匠海が熱演。俳優の魅力を引き出す、重松清作品の滋味深さ
重松清が作品に一貫して込めているメッセージを繊細に体現する役者陣
重松の短編集「せんせい。」所収の同名小説を映画化した兼重淳監督の『泣くな赤鬼』(19)は、その熱血指導から「赤鬼」と恐れられた高校野球の監督が、野球の才能がありながらも努力もせずにドロップアウトしたかつての教え子“ゴルゴ”と10年ぶりに再会し、末期ガンで余命半年の彼のために奔走する姿を描いたものだった。野球への情熱を失い、身体にもガタがきている50代の疲れた「赤鬼」に堤真一が気だるそうに演じていたのも記憶に新しい。柳楽優弥も高校時代の自分の行動を恥じ、最後にもう1度野球をやりたいと願う“ゴルゴ”を全身で演じていたが、わだかまりのあった2人の心がようやく通い合うクライマックスでは誰もが号泣! 演者の2人も涙した名シーンとしていまでも語り継がれている。
浅野忠信と田中麗奈のW主演で映画化した、三島有紀子監督作『幼な子われらに生まれ』(17)が描く人間の関係は、ここまでの3作と違って少々複雑だ。何しろ本作は、再婚した中年サラリーマンの信(浅野)が現在の妻・奈苗(田中)とその連れ子、前妻と暮らす実の娘、新たに授かった新しい命をめぐる家族の関係の中で、“ミッドライフ・クライシス(中年期に起こる心理的葛藤や不安)”に陥っていく姿を描いたもの。妻の妊娠を機に嫌悪感を示すようになった連れ子の長女と実の娘を比べ、新たな命も否定するような心境になっていく信に、会社のリストラ対象というさらなる逃れられない現実が突きつけられる。そうした窮地に立たされたとき、家庭を崩壊させないために男はどういう行動をとるべきなのか? そのひとつの答えを浅野が繊細な表情と佇まいで提示していて、息をのむ。
『恋妻家宮本』(17)も、重松の小説「ファミレス」をドラマ「家政婦のミタ」などの人気脚本家・遊川和彦が大胆に脚色し、自らの初監督で映画化したハートフル・コメディではあるが、テーマそのものはなかなか深刻なものだった。大学時代にできちゃった婚で結婚した陽平と美代子の宮本夫婦が、子どもの独立で50歳にして初めてふたりだけの生活を送ることになる。そんなある日、陽平は美代子が隠し持っていた離婚届けを見つけてしまい…。『とんび』では気性が荒い父親を演じた阿部寛が、ファミレスで食べたいものをなかなか決められなくて、離婚届けの真相を天海祐希が扮した妻の美代子に聞けない陽平を腰の引けた芝居で体現しているのがおもしろい。でも、これは意外に身近な問題で、自分に置き換えたら、笑ってもいられない。本作は夫婦と家族の新しいカタチを示唆する野心作と言ってもいいだろう。
こうして振り返っただけでも、重松清の小説には人と人との触れ合い方や距離に着目したものが多く、映画化された作品ではその微妙な関係性を俳優陣が繊細な芝居でリアルに視覚化していることがよく分かる。『とんび』で重松清ワールドに初めてハマった人は、ほかの映画化作品も観てみるといいだろう。重松清が作品に一貫して込めているメッセージをより深く噛み締めることになり、感動や喜びが間違いなく増幅する。
文/イソガイマサト