中井貴一&立川志の輔が語る、勘違いと偶然の出会いから歩み始めた『大河への道』
「本作は時代劇を残す手法のひとつになるのではと思いました」(中井)
――本作の物語と、中井さんが志の輔師匠の作品を映画したいとアプローチする話がリンクし、より興味深く拝見しました。中井さんが、本作で感じた“おもしろさ”を教えてください。
中井「現在も時代劇自体は作られていますが、圧倒的に本数は少なくなっています。さらにコロナ禍でエンタテインメントに回るお金が少なくなっているのを肌で感じるなかで、制作にお金のかかる時代劇を残すこと自体が至難の技であることは否めません。いかにお客様に観て頂ける時代劇を作っていくのか…。ここ数年ずっと考えて参りました。そんなとき、師匠の落語を拝聴し、タイムスリップものじゃないのに、現代と時代ものが重なり合って描けていることに気づき、これは時代劇を残す手法のひとつになるのではと思いました。
さきほどの“落差”の噺じゃないけれど、僕は喜劇の台本をいただいたら、まず悲劇性を探しますし、逆もしかりです。そのギャップを作ることで、喜劇はよりおもしろく、悲劇はより悲しいものになると考えています。今回の話でいうと、現代劇パートのコメディ要素と、時代劇パートのシリアスな部分ですね。師匠の噺は、それがストーリーのなかで自然にできているので、これは映画界にとって、時代劇を残していくうえでの一つの提案になれるのではと思いました」
――なぜ伊能忠敬本人が出てこない作品になったのでしょうか?
志の輔「実は、伊能忠敬が自分のことを“わし”と言っていたのか、“拙者”と言っていたのかのが、まったく浮かばなかったんです。彼の一人称が出てこないから、セリフも書けない。そうすると僕の噺のなかでは、伊能忠敬は喋れないわけです。そうやって作っては壊し…を繰り返した結果、伊能忠敬を大河ドラマの主人公にしたかったけれどできなかった、という熱い想いだけが残る話になりました(笑)。
でも、この構造は間違っていなかったと感じています。逆に言えば、物語なんかにできないくらいすごかった、というところに着地させることができたので。根底に『伊能忠敬の偉大さ』というベースがあれば、落語や映画だけでなく、ありとあらゆるメディアで物語にすることができると思います」
――中井さんは、時代劇を残す新しい手法を発見したとおっしゃってましたが、本作をどんな人に届けたいですか?
中井「やっぱり若い世代、特に小学生に観てほしいです。いまの子どもたちは、いまの肌感でモノを見ます。例えば、日本地図は昔から当たり前にあるものだから、それを当時作ることがどのようなものなのか、実感がわかないわけです。コメディにしたのは、より気軽に伊能忠敬を知ってほしいと思ったから。普段役者として作品に携わる時は、年齢層を気にすることはほとんどありません。でもこの作品に関しては、ぜひ若い人、特に子どもたちに観てもらえたらと思っています」
志の輔「現代と江戸時代が同時進行している物語では、タイムスリップものが普通だけど、そうではないところがおもしろい。脚本家の方は、本当にすばらしいと思いました。僕が押さえてほしいポイントはしっかり押さえたうえで、伊能忠敬の象徴としてわらじを出してきたアイデアには脱帽です!落語が映画になったことで腑に落ちた描写もたくさんあったので、今後そちらを落語に落とし込んでいけたらという思いで、許可取りのために映画制作チームの顔色を伺っています(笑)」
中井「脚本は40冊くらい書き直していただきました。脚本の森下(佳子)さんが、2回目の打ち合わせで“私には難しすぎます!”とおっしゃったことがあって。どういう意味か尋ねると、“伊能忠敬はちゃんと大河ドラマの主人公になれます。だから大河ドラマにならない話は難しすぎるんです”って。いやいや、これは大河ドラマにならないという話だから、と真剣に揉めたことがありました(笑)。先ほど師匠が『作っては壊し』とおっしゃっていましたが、脚本作りもそんな感じでした。もう少しスケジュールに余裕があったら、もっと完璧なものが描けていたと思います(笑)」
志の輔「いやいや、完璧な脚本です。本当にすばらしかった」