“視覚的スペクタクル”が彩る、ストレートなボーイ・ミーツ・ガール
近年アニメ映画の中から、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』(20)や『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(20)、『劇場版 呪術廻戦0』(21)、劇場版「名探偵コナン」といったメガヒット作が誕生している。これらの作品は内容こそそれぞれだが“映画館の大画面を堪能できる視覚的スペクタクルの徹底”という共通点がある。そこが観客のニーズに応えている大きな要素で、ヒットの要因といえる(視覚的スペクタクルで観客を圧倒するスタイルは、実写邦画の苦手とするところで、アニメ映画はその部分を補完しているとう構図がある)。本作が描くパルクールの高揚感は、まさにこうした“視覚的スペクタクル”を楽しみにしている観客に応えるものといえる。
そして、そのパルクールのアクションが彩るのは、ストレートなボーイ・ミーツ・ガールだ。小さな恋と目を奪うアクションの取り合わせに、ある種の懐かしさを感じる世代もいるかもしれない。
主人公のヒビキ(声:志尊淳)は、チームのメンバーにも心を開かない寡黙な少年。そのリスクを恐れない攻めたプレイスタイルで、ライバルたちからも注目を集めていた。そんなヒビキが、重力の狂った海に落ちてしまう。そこでヒビキは、不思議な能力を持つウタ(声:りりあ。)という少女に救われる。ヒビキはウタと出会ったことで、世間に対し心を開くようになり、ウタはヒビキと出会うことで、“私”というかけがえのないものを手に入れる。
本作は、作中でも言及される「にんぎょ姫」の物語を踏まえつつ展開する。恋がなぜ素晴らしいかといえば、それによって自分が変わり、世界が変わるからだ。本作はシンプルで普遍的な真実を描き出す。2人が出会い、変化していく様子を見つめる本作の視線はとても優しい。
「甲鉄城のカバネリ」ではメイクアップアニメーターという役職を設け、アップの時にキャラクターの肌の質感などを美しく見せていた。それは本作にも踏襲されている。どうしてキャラクターを素敵に描くかといえば、観客が2人に共感するだけでなく、憧れたり、恋する対象としてもみてほしいからだ。だから表現も、客観的というより主観的なものになる。アップになった時、ヒビキやウタが素敵に描かれるのは、それはそれを見ている人―ヒビキやウタ、そして観客―の思いがそこにのっているからだ。これはキャラクターの魅力で観客の感情をかきたてるという、アニメというジャンルの持つ力を信じているということでもある。
スタッフに対する信頼と、アニメというジャンルに対する信頼。この2つの“信じること”が『バブル』を作り上げた大きなエンジンだ。観客もまた作り手を信じて、このど真ん中のエンターテインメントに身を委ねれば、それでいい。
文/藤津亮太