『ダウントン・アビー』脚本・原案ジュリアン・フェローズが読者の質問に次々回答!ファンに愛される登場人物の”その後”まで激白
「ダウントン・アビー」シリーズを観て、戦争を無視せずシナリオにしっかり練り込まれていたことに驚きました。フィクションの物語であるからこそ、少しシナリオに混ぜる程度でも可能だったんじゃないかと思うのですが、登場人物達もそれぞれの形で戦争に関わり、お屋敷も以前の暮らしが一時的に出来なくなっていきましたね。時代の流れに背かず戦争という大変な史実を練り込む、そこにどういう気持ちや、苦労があったのでしょうか?(30代・女性)
もし自分に使命があるとしたら「昔の人はいまを生きる私たちと同じ」ということを説得力を持って伝えることだと思います。それぞれの時代でマナーや先入観、道徳観は大きく異なり、いまの私たちが見るとひどいと思うようなことも、その時代の彼らは悪いと思っていなかったし、その逆もまたしかりです。ただそれは、人間たちが常にその時代の社会に適応して生き抜いてきただけなんですよ。例えば、第一次世界大戦時は「乳幼児の死亡率は大変なものだったが、それはよくあることだったので、私たちが考えるほど当時の彼らは衝撃を受けなかった」とか。でも実際は、子を失った親は大変なショックでしたが、どうすることもできないことだったために、社会全体に与えたインパクトはそれほど大きいことではなかったとされただけなんです。戦争の時代は、すべての家庭、すべてのコミュニティに影響を及ぼし、戦争に関わりたくなくてもどうしても巻き込まれてしまうんです。
あなたがおっしゃる通り、私は実際に起きた事象を物語に取り入れることが大好きです。そして、観客がそれを見て、その史実に興味を持って自発的に調べてくれることを期待してるんです。特に戦争という題材に関しては、これだけ多くの登場人物が出てくる作品では、立場が違うのに誰もがその影響を受け、共通の経験として描くことができるため、ストーリーを描くのに非常に適したテーマだとも言えますね。私たちを結びつけるものは、私たちを引き離そうとするものよりも大事で、共に生きることの重要性を語らなければならないのです。
ダウントンが好きすぎて1か月間ロンドンに留学し、ハイクレア城やバンプトン村を聖地巡礼したファンです!前作で登場した国王陛下の従者、リチャード・エリスさんがとても好きなキャラクターだったので今回登場しないと聞き、非常に悲しいです。なぜ退場させたのでしょうか?(20代・女性)
その理由は2つあります。一つは、当時もいまも、エリスやバローのような同性愛者が社会に存在する割合はそれほど変わらないと思いますが、1920年代の英国では、それを認めない社会だったので、ほとんどの当事者は嘘をついて生きなければなりませんでした。それがどれほどストレスフルなことだったか、いまの若い人たちに思い出させたかったんです。この20~30年の間に彼らの人権に関しては非常に進歩しましたが、その進歩の恩恵がどれほどのものかということを、いま一度理解してもらいたかったんです。
そしてもう一つは、バローのキャラクターについてです。エリスはバローとの人生よりも自分の人生のために結婚する選択をします。ですが、バローはそんなエリスを認める一方、彼自身は嘘をつく人生を送る人間にはなりたくない、と表現するチャンスが与えられたんです。しかも彼は、自分の人生を歩むために妥協せざるをえなかった人々に同情の念すら持っている。それを描きたかったんですね。
例えばですが、エリスとバローの関係がハッピーなものだったとしましょう。その場合、彼らはロンドンで別々のアパートを借りながらも、世間には隠れて恋を育んだことでしょう。それ自体全く悪いことだとは思いませんが、劇的に面白い話でもありませんよね。そのため、バローにはもっとドラマチックで彼らしい選択ができる物語を、この作品で用意しています。楽しみにしていてください。