ノーブルな顔立ち、唯一無二の清廉さと色気。『別れる決心』チャン・ヘジュンがパク・ヘイルでなければならなかった理由
監督と脚本家の理想が生んだキャラクターチャン・ヘジュンは、パク・ヘイルだからこそ生まれた
パク・チャヌク監督=ハードコアな世界観という先入観から、『別れる決心』にパク・ヘイルがなじむかどうか懐疑的な声もあったそうだ。だが、この作品で二人がタッグを組むことは必然だったように思う。
現代の価値観に照らし合わせると、パク・チャヌク監督の過去作には、男性優位の暴力的視点が少なからず存在していた。たとえば、昨年リバイバル公開された『オールド・ボーイ 4K』(03)。スタイリッシュなバイオレンスは今も色あせないものの、かなり年の離れた男女が愛し合う展開は、男性の理想ばかりが反映された歪な恋愛像とも感じる。他方、『別れる決心』のヘジュンとソレは対等だ。こうした描写の変化には、一つは『親切なクムジャさん』(05)からパク・チャヌク作品の屋台骨として支え続ける脚本家チョン・ソギョンの存在があるように思う。彼女は創作のスタンスを「パク・チャヌク監督は主に女性をもっと素敵に描きたいし、私は尊敬できる男性を望んでいる。一方、私は女性の完璧ではなさを、監督は男性のみっともなさを表現しようとする」と明かしており、チャン・ヘジュンは二人の理想が結実したキャラクターだ。同時に、パク・ヘイル自身の持つ複雑な奥行きにも重なる。加えて彼女は「パク・ヘイルは“深海のような俳優”。一生一人の俳優と作業しなければならないなら、彼とだったらどんな作品でも面白い気がする」と絶賛しているので、いずれまた一緒に作品を撮ってくれるかもしれない。
また近年の作品から垣間見ると、パク・チャヌク監督自身が時代感覚をアップデートしたことも大きいだろう。前作『お嬢さん』(15)で秀子(キム・ミニ)とスッキ(キム・テリ)のラブシーンを撮影する際、二人の女優に最大限の配慮がなされたエピソードはあまり有名だ。劇場公開時の来日イベントでパク・チャヌク監督は、「格差のある二人が対等になっていく過程を女性のラブシーンで見せたいと思った」と語っていたが、恐らくこの頃から、恋愛や性における対等さを深く考えていたのではないだろうか。そうした作品を撮るためには、マチズモから脱却しているチャン・ヘジュンのような主人公でなかればならなかった。
『別れる決心』は、パク・チャヌク監督が直接的な“性”と“暴力”を封印した新境地でありながら、通俗とはかけ離れた愛の過ちが奏でられている。そんな彼のChapter.2に、俳優パク・ヘイルが不可欠だったのだ。
文/荒井 南