【連載】「MINAMOの話をきいてミナモ?」最終回 私が歩いてきた道

コラム

【連載】「MINAMOの話をきいてミナモ?」最終回 私が歩いてきた道


私の成長と共にそばにいてくれた本たちは、薬となり、教科書となり、師となった

学校帰りに行く古本屋が私の楽しみだったMINAMO
学校帰りに行く古本屋が私の楽しみだったMINAMO撮影/SAEKA SHIMADA ヘアメイク/上野知香

8歳、実家からテレビが消えた。理由はよく覚えていない。親に「どうしてテレビがないのか」と聞くと「捨てた」という回答だけが返ってきたような気がする。子供心に、それ以上聞いちゃいけない気がした。だがそれは母の愛だった。のちに、私の個性をなくしてほしくない、本を読んでほしい、そんな思いからテレビをなくしたのだと聞いた。

いつも一緒に通学していた5人くらいの女子グループがあった。ある日待ち合わせ場所に着き、声をかけたらいつものような返答はなく、無視された。いじめのスタート地点に私は立ってしまったようだった。このいじめが私にはなかなかきつかった。いじめなんていじめる側が絶対悪だが、私はこう思ったのだ。「いじめられないようになろう」と。家にテレビがないにも関わらず、同級生が夢中になっていたテレビ番組を想像だけで知ったかぶりし、買ってもらった服を友達に見せびらかすことはなくなった。

私はいわゆる「鍵っ子」で、学校帰りの楽しみは友達の家で出してもらうお菓子だった。子どもはなんでもうらやましがる。友達の家にある大きな木でできたミニハウスや、家に帰ったらお母さんがいること、ママ友というコミュニティに属しているお母さんたち、全部うらやましくてしょうがなかった。そして子供は時に残酷なことを平気で言う。私は母に「将来は専業主婦になる」と言った。その時の母の悲しそうな顔はずっと私の記憶にこびりついている。それから嫉妬心やうらやむ気持ちがなくなることはなく、年々増すばかりで、私はどんどん孤立していった。

私は本の虫となった。家にあった本や、図書館の本を読みふけった。宮沢賢治や芥川龍之介、夏目漱石。わからない漢字はたくさんあったが、そのたびに辞書を引き、戻ってはまた読み進め、偉人たちがこの世に残してくれたそれぞれの世界に浸った。私の成長と共にそばにいてくれた本たちは、薬となり、教科書となり、師となった。

児童養護施設を舞台にした松本大洋の自伝的漫画「Sunny」
児童養護施設を舞台にした松本大洋の自伝的漫画「Sunny」「Sunny」松本大洋著 小学館刊

松本大洋の「Sunny」を読んだ16歳の頃。常に人の顔色を伺う自分を嫌い、周りの人と比べ自分が普通に生きていけないこと、自分の未来に悲観していた。ずっと本しか読んでこなかった私には漫画は貴重で、1ページ1ページ大切に読んだ。「Sunny」は、家族と暮らすことができない、施設で過ごす少年少女たちの群像劇。子供にしかわからない複雑な感情や、子どもの頃しか考えられないようなこと、今まで忘れていたそんなこと、今なお抱えているものを改めて思い出させてくれた。それはじんわりと私の心を満たし、湧き上がる何かを、噛み締めた。なによりも「絵が言葉を話す」、そんなことができるものなのかと私は圧倒された。技術はもちろん、天才、松本大洋の魂に惚れ込んだのだ。

それから私は、その時まで知っていた漫画とは全く違う、今まで触れてこなかった宝の山に足を踏み入れた。浅野いにおや魚喃キリコ、森泉岳土、内田春菊。学校帰りに行く古本屋が私の楽しみとなった。

■MINAMO プロフィール
京都府出身。2021年6月にSOFT ON DEMANDよりAV女優としてデビュー。趣味は映画&レコード鑑賞、読書。
YouTubeにて「MINAMOジャンクション」を配信中。
Twitter:@M_I_N_A_M_O_
Instaglam:minamo_j


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