極度のダイエット、麻薬やタトゥー…美貌の皇妃エリザベート、その“奔放”な生涯
『ファントム・スレッド』(17)や『アウシュヴィッツの生還者』(公開中)のヴィッキー・クリープスが、伝説のオーストリア皇妃エリザベートを演じ、第75回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門最優秀演技賞など数多くの映画賞に輝いた『エリザベート 1878』(公開中)。本作の主人公にして、“シシィ”の愛称で親しまれたハプスブルク家最後の皇妃エリザベートとは、いったいどのような人物だったのか。その歴史をおさらいしておこう。
ヨーロッパ宮廷随一の美貌の持ち主・皇妃エリザベートとは?
バイエルン王国ミュンヘンで、ヴィッテルスバッハ家傍系のバイエルン公マクシミリアンと王女ルドヴィカの次女として、1837年12月24日に生まれたエリザベート。16歳の時に、姉であるヘレーネが皇帝フランツ・ヨーゼフと見合いをするのだが、フランツはヘレーネではなく同席したエリザベートに一目惚れ。そのまま婚約した2人は1854年にウィーンのアウグスティーナ教会で結婚式をあげる。
その逸話からもわかるように、ヨーロッパ宮廷随一と言われた美貌の持ち主として伝えられているエリザベート。一方でその性格は自由奔放で、伝統と格式を誇るハプスブルク王朝のウィーン宮廷での生活が合わず、次第にウィーンを離れて流浪の旅を繰り返すようになったといわれている。1867年にはオーストリア=ハンガリー二重帝国が発足し、フランツはハンガリー王に、エリザベートはハンガリー王妃を兼任。1898年9月10日に、スイスのジュネーヴで刺殺され、60年の生涯に幕を下ろした。
これまでエリザベートの物語は様々なかたちで語り継がれてきており、映画としては1955年から1957年にかけてロミー・シュナイダーが演じた「プリンセス・シシー」3部作が有名だ。また日本では、宝塚歌劇団や東宝ミュージカルの人気演目として幾度となく再演が重ねられ、さらにドイツでは若き日の彼女を描いたドラマシリーズ「皇妃エリザベート」(Netflixにて配信中)が製作され、新シーズンも決定するなど根強い人気を博している。
体重測定は1日3回!自分らしさを求めたエリザベートの生涯
そして『エリザベート 1878』では、タイトルで示される通りエリザベートが40歳だった1878年の1年間の物語が描かれる。これまであまり話題にされることがなかった後年のエリザベートの素顔、自由を渇望した彼女の知られざる心の葛藤へと迫っていく。
たとえば身長172センチにして体重は45キロから50キロ、ウエスト50センチほどの体型を維持していたといわれているエリザベート。そのために毎朝毎晩ウエストやふくらはぎ、腿のサイズを測り、体重の測定は1日3回を徹底していたとか。しかし年齢を重ねるにつれて抗えなくなっていく容姿の衰えに、過剰なほど敏感になり、極端な食事制限と激しいスポーツに明け暮れるように。結果的に、それが彼女の心身を蝕んでいくこととなる。
また、当時の貴族女性たちにとって禁じられていた習慣だったタバコも好んで吸っていたとも言われている。それどころか当時は無害な鎮痛剤として医師から処方されることも多かった、ヘロインやコカインにも興じていたようで、ウィーンのシシィ博物館には当時使用していたコカイン注射器が展示されている。さらに晩年には、旅先で肩にタトゥーを彫り込んで皇帝を驚かせたという記録も。
いくつになっても自由な生き方や刺激を求め、そして周囲からの誇張されたイメージに苦しみ、抵抗しながら自分らしさを取り戻そうとするエリザベートの姿は、現代を生きる我々にも刺さるものがあるだろう。艶やかで華やかな従来までの皇妃エリザベートのイメージを覆し、それでいて魅力的な生き様を、ぜひ本作で知ってほしい。
文/久保田 和馬
※記事初出時、皇妃エリザベートが婚約した年の表記に誤りがございました。訂正してお詫びいたします。