坂元裕二が”トレンディドラマの作家”であり続ける理由「作品を書くことで時代を愛せるようになりたい」Netflix映画『クレイジークルーズ』インタビュー
「世の中があまりにも“清貧”みたいな方向になっているので、その抵抗として少しでも煌びやかな世界を書いてみたい」
――近年、社会派的な要素が注目されがちだった坂元脚本作品ですが、エンターテインメントに振り切った『クレイジークルーズ』は、ある種の原点回帰とも言えるような作品なのではないかと。
「こういう言い方をすると誤解されるかもしれませんが、基本、僕はトレンディドラマの人間だと思っていて、その時代その時代に必要だと思う作品を書いてきたつもりなんです。90年代はトレンディドラマが必要とされていたし、そこから多様な作品が生まれていきました。それが2010年代になると、テレビドラマ自体の影響力がなくなってきて、そうした逆境の中で、自分がそれでも時代を捉えるには、もっと言うなら時代を愛せるようになるには、どんなドラマを作ればいいのかを考えて脚本を書いてきました。だから、作風に変化があったとしたら、それは時代の変化の影響が大きいと思うんです。『大豆田とわ子と三人の元夫』にもそういう要素はありましたが、今回の『クレイジークルーズ』に関しては、テレビドラマの制作環境も含め世の中があまりにも“清貧”みたいな方向になっているので、その抵抗として少しでも煌びやかな世界を書いてみたいと思って」
――世の中にただ「合わせた」作品ではなく、世の中に「必要とされている」と思う作品を書いてきた。そういう意味において、坂元裕二は一貫して「トレンディ」ドラマの作家だったということですか?
「そういうことだと思います。時代に必要とされているというとちょっと偉そうですけど、作品を書くことで時代を愛せるようになりたいとはずっと思ってます。クルーズ船だって舞台として取り上げてること自体が僕にとっては肯定なんです」
――細かいところですが、『クレイジークルーズ』の中に出てくるカンヌ国際映画祭や昆虫食についての会話とか、まさに未来を先取りしているようで。
「脚本を書いたのは2021年なんですが(苦笑)。放送と同時進行で書いてきたテレビドラマの脚本と違って、『花束みたいな恋をした』くらいから世の中と妙に合うようになってしまったんですよ。随分前に書いたものなのに、作品が世に出たころにそれが流行ってるみたいな」
――とてもいいことじゃないですか。
「その結果、いろいろといいことも起こるようにもなったのかもしれないですけど、脚本家としては作品が世に出た時に『一体これはなんなんだろう?』みたいなことも言われたいわけです。3年後くらいになって、その意味がようやくわかるみたいなのが理想としてはあって(苦笑)」
――ストーリーには直接関係のないところまで、登場人物の詳細なプロフィールを作り込んだ上で脚本を書くというのが坂元さんの脚本の書き方だと伺ったことがあるのですが。
「今回、その手法は使ってないんですよ。脚本の書き方をちょっと変えたいと思って。それと、連ドラと違って長編作品の場合、あまり登場人物を掘っていくと、ストーリーが動き出すまでに時間がかかりすぎてしまうんです。なので、今回はキャラクター主体ではなくストーリー主体で作っていきました。とはいえ、それでも頭の中にはそれぞれのプロフィール的なものはありましたが」
――特に吉沢亮さん演じる生真面目なバトラーの役は、これまでの坂元脚本作品ではあまり出てこなかった新鮮なキャラクターと思ったのですが。
「例えばカズオ・イシグロの『日の名残り』とかもそうですけど、“執事もの”というジャンルにちょっと興味があって。執事であったり、バトラーであったり、そういう誰かに仕える仕事をしている人は、誰も見てないところでもやっぱり生真面目なのだろうか?だとか、そういうことを考えると、そこにユーモアを感じるんです」
「フレッド・アステアがダンスしている姿を眺めながら、『こういうものが作れたらなあ』ってことばかり考えていて」
――今回『クレイジークルーズ』の脚本を書く際に、具体的に参考にされた作品があったら教えてください。
「参考にしたというわけではないですが、ここ数年はエルンスト・ルビッチ監督の作品みたいな、古い映画しか見てないんですよ」
――ジャンルでいうと、スクリューボール・コメディですね。確かに、『クレイジークルーズ』のストーリーはルビッチ作品に通じるものがありますね。
「仕事机の前にはフレッド・アステアのポスターを貼っていて。アステアがダンスしている姿を眺めながら、『こういうものが作れたらなあ』ってことばかり考えていて」
――へえ!
「トレンディドラマを書いていたころから、日本でどうやったらあの時代のハリウッド映画のようにソフィスティケートされたラブコメディ作品が作れるかというのが、大きな課題としてあって。男女の粋な会話だったり、素敵なパーティのシーンであったり、そういうものをなんとか日本でも成り立たせられないかというチャレンジを、会話の応酬やそこに挟み込むアフォリズム的な台詞といった日本語の文脈の中で立ち上げていきたいという思いは変わらないです」
――『クレイジークルーズ』の乗客のように、もし時間とお金の余裕があったらクルーズ船に乗ってみたいと思いますか?
「まったく思わないです。長期のクルーズだと、どうしてもほかの乗客と顔見知りになっちゃうじゃないですか。そこで見知らぬ人とフレンドリーな関係になるとか、まったく考えられないですね(笑)」
取材・文/宇野維正
※宮崎あおいの「崎」は「たつさき」が正式表記