「座席からしばらく立ち上がれないような傑作」映画評論家・宇野維正&森直人と編集長がネタバレありで『ミッシング』のすごさを語る
「今回の石原さんは、言わば猛獣。吉田組の安定の構図を掻き乱す演者でした」(森)
宇野「吉田監督は基本リアリズムの作家だと思っていて。例えば最近だと『落下の解剖学』は現代なのにソーシャルメディアが一切出てこないじゃない。意図的に入れてないですよね。わりと品の良い監督は、ソーシャルメディアなんて手が汚れるだけだから触らないんですよ。だけど吉田監督はリアリズムの人だから、テレビ局の描き方もソーシャルメディアの描き方もリアリズムがベースにあるよね」
森「泥臭い所にちゃんと突っ込んでいく。『ミッシング』のテレビ局の描き方でおもしろかったのは、今回、吉田監督は組織の中の人間というものをすごく生々しく見つめているなって。例えば砂田(中村倫也)の同僚で、うまく出世していく駒井(山本直寛)という後輩が出てくるじゃないですか。『神は見返りを求める』で言うと、若葉竜也さんが演じた梅川っていうイベント会社の後輩に当たる役だと思うんですけど、吉田監督、こういうタイプの人間が嫌いなんだなって一発でわかる(笑)」
宇野「上手くいってるヤツの描き方は、ちょい体重乗ってるよね(笑)」
下田「(笑)。吉田監督って『設定よりも感情が大切』みたいなことをおっしゃってるじゃないですか。だから社会問題を扱おうとしてるんじゃなくて、シンプルに“沙織里の神経を逆なでする存在ってなんだろう?”と考えてSNSを出した、みたいなリアリティを感じます」
宇野「撮影初日は、その沙織里が掲示板の書き込みを見て、キレるシーンから撮り始めたみたいね。あそこで作品のトーンを決めるということもあったのかもしれない」
下田「劇中で何度か、沙織里が夫の豊に『温度が違うんだよ!』とぶつけるシーンがあります。まさに、彼女の温度の高低に引っ張られながら観ていく作品だなあと」
森「石原さんのヒステリックに振り切っていく演技、“壊れてしまった”としか言いようのない凄まじい熱演に関しては、実は賛否の声もあるみたいですね。でも僕は、親としての立場を考えるとめっちゃリアルだと思った。実際当事者の親だったらあれくらい狂ったようになるでしょう」
宇野「やりすぎって声もあるんだ!?それは思わなかったな。ぶっちゃけて言うと、自分の子どもがこのくらいの歳だったら、つらすぎて観てられないという作品ではあると思う。いま息子は高校生で、サッカーとキックボクシングをやっていて、本気で喧嘩をしたら余裕で俺が負けるんだけど(笑)。でも、それって親としてはようやく辿り着いたものすごい安心感で。だからまだ平常心で観ることができるというのはあった。森さんのところは、いまおいくつですか?」
森「うちの息子は小6なんですよ。だから5年前だったら、画面を直視できなかったと思う。つまり逆に言うと、そのくらい本気の強度がある作品なんですよね。石原さとみさんという役者の資質を考えると、吉田恵輔組にとっては相当異質…“異物”と言えるほど違和のある相性ではあったと思う。吉田監督が好んで起用する役者さんって、抑制も含めてお芝居を巧みにコントロールできるタイプの人が多くて、つまり脚本という設計図の意図を完璧に具体化できる。それが彼の言う『うまい人』ってやつですよね。だからいつも撮るのがすごく早いらしい。でも今回の石原さんは、言わば猛獣で、吉田組の安定の構図を掻き乱す演者だった。それが吉田恵輔にとっても様々な刷新につながった。石原さんは『吉田監督に私を変えてほしい』と申しでたらしいですが、実は石原さんによって吉田監督も随分変えられた。これは『ミッシング』の重要なポイントだと思います」
宇野「先日のインタビューでも、石原さんのギアの入り方を『肩を振り回しすぎて、脱臼して現場に現れたような感じ』と評していました(笑)」
森「そのせいか『ミッシング』は、石原さんの“横顔”が多い映画なんですよね。真正面からだと圧が強すぎるというのもあったかもしれないけど(笑)、それが横になると陰りや憂い、哀しみの感情がとても繊細に醸しでされる。もうこれは石原さとみの“横顔“の映画である、とか言いたくなるほど印象的でした」
宇野「プロモーションの画像もだいたい横顔ですもんね。でも石原さんは被写体として見ると、横顔の顎のラインが本当に美しいんですよ」
森「その沙織里に寄り添う、青木崇高さんが演じた夫の豊の佇まいもすばらしかったです。僕自身はあんまり感情のアップダウンがないので、タイプ的には豊のはずなんだけど、このシチュエーションだったら僕も沙織里みたいになるなあと思って観ていたんですよね。だから豊が静かに引き受けているバランサーの役割って本当にすごいですよ」
宇野「それは俺も思ったかも。セリフにもあったけど、本当は沙織里みたいになりたいけど、彼女が倒れないように逆から引っ張らなきゃいけない。それはすごく伝わってきた」
下田「ホテルで食事をしている時に『自分だけつらいみたいな顔しやがって』と、娘の行方不明時にライブに行っていて連絡が取れなかった沙織里を攻めるような言い方をしてしまったシーンですね。そのあと、一人涙を浮かべて煙草を吸っている喫煙所のシーンまで含めて、豊の堪えっぷりがつらいです…」
森「こういう夫婦が寄り添ってる姿、いままでの吉田さんの映画になかったんですよ。『麦子さんと』なんかはお母さんをめぐるせつない映画でしたけど、これまでの吉田監督作品に出てくる“親”って、離婚していたり死別していたり、必ずシングルなんです。両親が揃って出てるのって初めてじゃないですか?と吉田監督本人に聞いたら、『ミッシング』の豊と沙織里は、自分にとって“親”という目線ではなかったと。監督ご自身と年代の近い大人の男女に起こった試練、という捉え方ってことですよね。結果、パートナーシップの物語というラインがこれほど強く出たのも、吉田監督の映画では初めてじゃないかなと思います」
映画ジャーナリスト。「リアルサウンド映画部」アドバイザー。YouTube「MOVIE DRIVER」を更新中。「MOVIE WALKER PRESS」「装苑」などで連載中。著書に「1998年の宇多田ヒカル」(新潮社)、「くるりのこと」(新潮社)、「小沢健二の帰還」(岩波書店)、「2010s」(新潮社)、「ハリウッド映画の終焉」(集英社)など。最新刊「映画興行分析」(blueprint)2024年6月発刊予定。
森直人
映画評論家。1971年和歌山生まれ。著書に『シネマ・ガレージ』(フィルムアート社)、編著に『21世紀/シネマX』(フィルムアート社)ほか。「週刊文春」「朝日新聞」などで執筆。 YouTubeチャンネル『活弁シネマ倶楽部』MC担当。