「座席からしばらく立ち上がれないような傑作」映画評論家・宇野維正&森直人と編集長がネタバレありで『ミッシング』のすごさを語る
「吉田監督作品のユニークさは、ルサンチマンがないところ」(宇野)
宇野「吉田監督って日本では本当に珍しい、アメリカの最前線の映画やテレビシリーズに比肩するレベルの精巧で複雑な脚本を書ける人だよね。『麦子さんと』までは仁志原さんという共同執筆者がいたことも大きいんだろうけど」
森「そうそう!僕も本当にそう思います。すごい作家ですよ」
下田「しかも手掛けた長編作品13本中、10本がオリジナルって、すごすぎます」
森「吉田監督ご本人の印象としても、地頭がめちゃくちゃ良くて、人間を見る目が深い。僕がこれまでの人生で出会った中でも有数のストリート・ワイズってタイプなんですよ。こちらが『吉田さんは頭脳派だと思う』って言うと、でも学生時代の偏差値めっちゃ低かったよと返されるんだけど(笑)。ただその頭の良さは、まさにフィルモグラフィーが証明していますよね。長編13本、初期の『なま夏』や『メリちん』も含めると計15本が全部佳作以上って、世界で見ても驚異的なアベレージの高さじゃないですか」
宇野「圧倒的に脚本力だよね。テクニックで上手い方はいるけど、脚本を書く能力ではダントツだと思う」
森「だから吉田監督は“自分で脚本を書く”のが絶対条件なんですよね。脚本が書けた段階でほぼ(映画作りが)終わったと思っているらしく、だから撮るのはさっさと済ませたい、みたいな(笑)。ただ繰り返しになりますけど、今回の『ミッシング』はいつもと違う生息地域からやって来た石原さんに引きずられる形で、これまでにない熱量と、重厚でシリアスなトーンを獲得できたようにも思います」
宇野「どんな優れた作家でも、得意なことしかしないとある時点から自己模倣になっていきますよね。最初は石原さんと組むイメージが湧かなかったって言ってたけど、作品にとっても、監督のキャリアにとっても、今回はすべてが良い方向に転んだと思います」
下田「今回、劇場用パンフレットに決定稿のシナリオが収録されているんですよね。石原さんのお話では『ここで泣く』とか『嗚咽』などのト書きも参照されていたそうなので、あの演技がシナリオ上でどう書かれていたのか、読み見比べるのも本作の楽しみ方だなあと思っています」
宇野「脚本が優れすぎているので、観客の側が問われる作品だと思うんですよね。結末の話になっちゃうけど、僕は映画を観る時にクリティックとしての立場で観る一方で、これが観客にどう見られるのかという視点もあって。それでいくと、この結末で大丈夫なの?と思ったんですよ。一般的なお客さんは、ハッピーエンドかバッドエンドか、みたいな見方になりがちなので」
森「僕の印象では、吉田作品は『机のなかみ』や『さんかく』など初期の頃から、そのほとんどが“地獄めぐり”の物語なんですよ。しかも凄いのは、幾多の映画監督みたいに神の目線みたいな所から創出するんじゃなく、監督が自分も一緒に地獄に堕ちてくれるんですよね。だから人間を見つめる目線も優しいんです。今回も沙織里と一緒に地獄を彷徨う、みたいな感じがある。しかも、これ以上突き進んだらきついよなってギリギリのところまで行きつつ、さらに一歩越えちゃうんです。ギリギリアウトの領域にまで踏み込んじゃう(笑)。『愛しのアイリーン』の後半とか、まさにそうですよね。そこがタフだと思うし、どこまでもつきあってやるよ、みたいな本質的な優しさを感じる」
宇野「それに付け加えるなら、吉田作品のユニークさはルサンチマンがないところなんですよ。格差社会の下側からの怒りだとか、社会をひっくり返してやろうみたいな部分がないのは、それが良いか悪いかは別として、日本映画界においては本当に貴重で」
森「確かにそうですね!さっきの風刺劇にならないってことに通じますけど、吉田監督って“一矢報いる”みたいなカウンター意識とは程遠い人。ルサンチマンがないってことは、やはりすべてをニュートラルに見ているってことでしょうかね。吉田監督は今回の森優作さん演じる圭吾もそうだけど、いわゆる“イケてない男性”を好んでよく描いてきた。その滑稽さをしっかり映画の旨味にしちゃうんだけど、同時に、いやそれ以上に彼らの尊厳も深く見つめている。その塩梅が抜群なんですよね」
宇野「社会に一矢報いてやろうみたいなのって、1970年代までならまだしも、いまやリアリズムではないからね。這いつくばって生きてるなかにも楽しいこと、嬉しいこと、美しいことがあって、それを実感として知ってるかどうかだと思うんだよね。いわゆる社会派の映画作家には、そこの想像ができていない人が少なくない」
森「なるほど、確かに社会問題を扱う映画には、かわいそう、という知的な作家のある種傲慢な視点が無自覚に発動しているものが多いかもしれない。『ミッシング』は上から目線の社会派映画とは全然違いますよね」
下田「確かに、吉田監督の目線はやさしいですよね」
宇野「それと、夫婦がこの先別れずに生きていくところまで映画は示唆しているよね」
下田「後半に出てくる別の女の子の行方不明事件の時、豊がテレビを見ながら『絶対こんなの母親が原因に決まってるじゃん』と沙織里の前でポロっと言って。失言をするけど、すぐに気づいて謝れる。そうやって、わだかまりながらも関係を修復し…みたいな描き方も上手いなと思いました」
森「豊が圭吾を犯人なのではないか、と実は疑ってることを示した、2人が横に並んで座る沈黙のシーンも印象的でしたね。あんなに長い沈黙は、吉田恵輔映画で見たことないですよ。今作では新しいことをいろいろ試みている感じがします。最初に宇野さんが言ったように、(『空白』の)続編として企画が立ち上がっているからこそ、自己模倣の罠に陥らないように、まったく違うアプローチを試みたって部分は大きいと思います」
宇野「『神は見返りを求める』の時は、いくらなんでもタイプキャストすぎない?って(映評に)書いたんですが、やっぱり今回は石原さとみの存在がすごく重要だったと思う」
森「どう転ぶかわからないような攻めの人(=石原)をドンと中心に置いて、まわりは全部受けの演技。で、その受けが本当に上手い人ばかり」
宇野「中村倫也さんとかめちゃくちゃ上手いからね」
森「演技アンサンブルの設計に関しても、鉄壁のフォーメーションを組んでますよね。またその端っこに、訳のわからん質問を投げてくるようなおばちゃんとか“ガヤ”を担当する精鋭エキストラ陣を配している(笑)」
下田「ワークショップで選ばれた皆さん、めちゃくちゃ味がありますよね(笑)。さきほど両親の描き方の話がありましたけど、吉田作品における“兄弟”ってどうなんでしょう。というのも、沙織里は自分がライブに行ってたという自責の念が、圭吾に向かうじゃないですか。ドアを蹴って取材に引っ張りだすあたりとか、夫への詰め方とは違うゾーンに入る感じ。あの夫婦とは違う距離感の描き方も、すごいと思ったんですよ」
森「『犬猿』がまさにそうですけど、パワーバランスが歪んだ兄弟姉妹はよく描いてますね。これも吉田監督の生い立ちの反映というか、彼自身が持ってらっしゃる極私的なリアリティが絡んでいるのかなと思います。吉田監督がおっしゃってますけど、初期作品のオリジナル脚本ってほぼ彼自身の実体験をベースに組み立てているんですよね。でも『銀の匙 Silver Spoon』あたりから他作家の原作ものをやられるようになり、自分が知らない世界を想像力で描くようになった。今回はその想像力を補強する意味でも、石原さんにお子さんが生まれるという神がかったタイミングで撮影できたのは本当によかったんじゃないかと思います」
宇野「ですよね。ただ気軽に小さな子どものいるお父さん、お母さんには勧められない…。うますぎるんだよ。伏線の在り方とかミスリードの仕方とかも含めて。吉田監督がメジャーで撮るのはこれが初めてではないけれど、今後そのフィールドで活躍していく流れが今作でようやく始まったんじゃないかな」
森「インディペンデントで注目された監督が、メジャー作品になると自分の個性が抑圧されて強度が下がる例が国内外問わず多いですが、『ミッシング』は攻めながら風格もあるという理想的な形に結実した例だと思います。きっと2024年のベスト映画の上位に挙がってくる1本じゃないですかね。…って、気づけば随分しゃべりましたね。もう言い残したことはないかな?」
宇野「あるとしたら、次はどういう作品を見たいかという話だろうけど、おこがましいよね」
森「ですね。常にこっちの想像を超えてくる作家ですから」
取材・文/神武団四郎
※吉田恵輔監督の「吉」は「つちよし」が正式表記
映画ジャーナリスト。「リアルサウンド映画部」アドバイザー。YouTube「MOVIE DRIVER」を更新中。「MOVIE WALKER PRESS」「装苑」などで連載中。著書に「1998年の宇多田ヒカル」(新潮社)、「くるりのこと」(新潮社)、「小沢健二の帰還」(岩波書店)、「2010s」(新潮社)、「ハリウッド映画の終焉」(集英社)など。最新刊「映画興行分析」(blueprint)2024年6月発刊予定。
森直人
映画評論家。1971年和歌山生まれ。著書に『シネマ・ガレージ』(フィルムアート社)、編著に『21世紀/シネマX』(フィルムアート社)ほか。「週刊文春」「朝日新聞」などで執筆。 YouTubeチャンネル『活弁シネマ倶楽部』MC担当。