『ぼくのお日さま』奥山大史監督の類まれなバランス感覚に宿る、“生まれたて”の表現【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

インタビュー

『ぼくのお日さま』奥山大史監督の類まれなバランス感覚に宿る、“生まれたて”の表現【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

「観る人によって遠い昔に見えても、なんならちょっと未来に見えてもいい。知らない国のおとぎ話に見えるぐらいがちょうどいい」(奥山)

――『ぼくのお日さま』の時代設定って、いつごろなんでしょうか?

奥山「あまり作品の中で明示はしたくなくて、現代だと思って見てもらってもいいように意識したんですが、誰もスマホを持ってなかったり、あとは車種とかを見れば、わかる人にはわかるかなくらいで」

――地方だったらあり得るかなくらいな感じで見てしまったんですけど(苦笑)、10年ぐらい前ですか?もっと前?

奥山「一応設定していたのは2001年ぐらいです。着ている服も、持っている小道具も、その時代に合わせて選んでもらって。でも、いかにも“昔です”という感じにはしたくなかった」

――作る上では厳密に時代設定をしながらも、観客に与える印象は曖昧にしている。ものすごい絶妙なラインを狙ってるんですね。衣装とかはどうやって集めたんですか?

奥山「纐纈(春樹)さんという『ドライブ・マイ・カー』とか黒沢(清)監督の映画とかを担当しているスタイリストさんにお願いして。フィギュアスケートを習ってる子たちが、20年くらい前にどんな服で練習していたかとか、なかなかわからないじゃないですか。だから、僕がスケートしてた当時の映像とか写真とかを、その頃に姉が着ていた服とかを一回全部預けて、それを纐纈さんに吸収してもらって、そこから服を集めたり作ったりしてもらったんですけど」

『ぼくのお日さま』より
『ぼくのお日さま』より[c]2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

――ものすごい精度の仕事をされていて、そういうところも、いわゆるアートハウス映画っぽくない作り方をされてますね。予算や制作環境からくる言い訳のようなものが、どこにもないというか。

奥山「はい、それはもう各部署のスタッフが全力を応えて下さったおかげです」

――その上で、それでも時代設定を作中で明示したくなかった理由は?

奥山「ちょっと極端ですけど、観る人によって遠い昔に見えても、なんならちょっと未来に見えてもいいぐらいっていう。そういう、知らない国のおとぎ話に見えるぐらいがちょうどいいですっていう話を最初にスタッフにしていて。地域についても、北海道ということはわかると思うんですけど、方言を使ったり、どの町かを明示しないようにしているのは、観客に余白を与えるためで。時代や地域を限定して説明を重ねてしまうことで、観客にとってどこか他人事になっちゃう気がするんですよね。だから、なるべく限定したくない、できるだけ普遍的にしたいというのはあります」


――自分が見せたいものと、観客にどう観てほしいかということ、そのバランスを見つけるのって特に経験の少ない若い映画作家にとっては難しいことで、“自分が見せたいもの”に偏っていきがちだと思うんですけど、奥山監督はそのバランス感覚に非常に長けていると思うんですね。それは、どうやって獲得していったものなんでしょう?

奥山「『イエス様』が海外で上映された時に思ったのは、たまたま主人公がほとんど喋らない設定だったこともあって、言葉を使わずとも伝わるものがあるんだなっていう、ある意味、映画にとって当然のことに気づかせてもらって。最初にサン・セバスティアン映画祭に行って、それ以降もいろんな映画祭に行かせてもらう中で、映画ってそれ自体が一種の共通言語なのかもしれないって思えたんですよ。その経験があったから、今作も海外に届けたいと思ったし、言葉ではないもので届けたいっていう思いも強くあって」

「映画ってそれ自体が一種の共通言語なのかもしれない」と語る奥山大史監督
「映画ってそれ自体が一種の共通言語なのかもしれない」と語る奥山大史監督撮影/河内 彩

――いま観客って言ったときに、自分はなんとなく日本の観客をイメージして質問をしたんですけど、映画祭で出会うことになる観客というのも念頭に置かれているんですね。

奥山「『イエス様』の反省点で一番大きかったのって、最初にサン・セバスティアン映画祭に行った時点で、セールス会社も、日本の配給会社も、日本の宣伝会社もなにも決まってなかったことなんですよ。そこでたまたま受賞できたことで、そこから一気に、日本のワイドショーとかから連絡が来たり、あとは海外の配給会社から、映画祭のパンフレットにとりあえず入れてあった自分の個人アドレスにすごい連絡がきて、完全にパンクしてしまったんです(笑)。その時に、映画祭って、みんなで作品を作って、ゴールテープをきる場所みたいな感覚で行きがちですけど、まったく違うんだなってことがわかって。映画祭はゴールではなくて、作品が商品へと生まれ変わるためのスタートを切る場所なんだな、と。そして、そのスタートを切るのは1人ではできなくて、日本の配給宣伝と海外の配給会社の窓口になるセールス会社が決まってる上で、みんなでその作品をどう届けて、映画祭での反応に合わせてどう臨機応変に対応していくかってことが大事なんだなってことがわかって」

――まあ、学校の卒業制作の作品でそこまでいっちゃうっていうのがすごいことですけど(笑)。

奥山「でも、あの時の反省や学びがとても多かったので、今回はその反省を活かして、プロデューサーと計画を立てることができました」

――なるほど。「前作でやりたかったけどやれなかったことをやりきろう」というのは、作品の内側だけではなくて、そういう外側のことも含めてだったんですね。

奥山「はい。だからこそ、やりきれなかったところをやりきらせてもらったという感覚はあります」

――それで、それもまたこうしてうまくいっちゃうんだからすごい(笑)。

奥山「でも、ここまでがホップ、ステップだとしたら、次はジャンプしなきゃなって感覚はとてもありまね」

――頼もしいですね。映画監督としてキャリアを考える上で、ロールモデルにしている監督は誰かいたりするんですか?

奥山「特にロールモデルはいないですけど、尊敬してる人としては…うーん。最初に浮かぶのはやっぱり是枝(裕和)さんですかね。今お話した映画祭の捉え方にしても、是枝さんの考え方を踏襲しているだけの段階ですし。 あと、ロールモデルの話となると思い浮かぶのは、大学生の時に(グザヴィエ・)ドランの作品が特集されたオールナイト上映に行って、そこで『マイ・マザー』を観た時に『これ、19歳で撮ってカンヌに行ってるんだ』って衝撃を受けて。『わたしはロランス』が大好きだったんですけど、あれも23歳で撮ってて、その時点で3回目のカンヌっていう」

カナダの俊才グザヴィエ・ドラン監督が、23歳の時に制作した長編第3作目『わたしはロランス』(12)
カナダの俊才グザヴィエ・ドラン監督が、23歳の時に制作した長編第3作目『わたしはロランス』(12)[c]Everett Collection/AFLO

――ドランは早かったですよね。

奥山「『こんな人がいるんだ!』ってその時すごく思ったんで、ロールモデルではないですけど、印象には残ってますね。あまりに早すぎる、マラソンを短距離の感覚でスタートしちゃったような、すごいスピードだったんで」

――日本で言ったら、奥山監督も相当速い早いですけどね(笑)。ドランはアデルのミュージックビデオを撮ったりしてることも含めて、確かにちょっと奥山監督に重なるところはありますね。ただ、2022年にテレビシリーズを撮った後、監督としての引退宣言をしたり(のちに撤回)と、生き急いでる感じはありますね。その時点でまだ30代前半という。

奥山「うんうん」

――奥山監督もNetflixの「舞妓さんちのまかないさん」やNHKの「ユーミンストーリーズ」でエピソード監督を務めたり、完全なインディペンデントで短編を作ったりと、長編映画以外でのフィクション作品の制作についてもいろいろ模索しているようにも見受けられますが、やっぱり監督としての軸としては長編映画があるという感じですか?

奥山「それでいうと、あんまりこだわっていかないほうなのかなとは思います。もちろん、映画館で映画を観るのは大好きですけど、自分は広告会社に所属しているのでCMに携わるときもありますし、ミュージックビデオを撮ったりもしますし、ドラマの依頼も来たら、その仕事をすることですごく貴重な体験をさせてもらってるので。いろいろなことをやりながら、また映画に戻ってこれたら戻ってきたいっていう感じで」

――へえ、意外にフラットなんですね。…でも、確かに若い監督は最近わりとそうかもしれませんね。なんか、映画はちゃんと駒が揃った時に満を持してやるもの、みたいな。

奥山「もちろん生活のこともありますけど、それだけじゃなくて、作品と作品の間にアイデアを蓄えるとかいっても、実際にその毎日をどうやって暮らせばいいんだろうって感覚があって(笑)自分の場合は、何かを作り続けることでしか、映画で撮るべきことは見えてきません」

――そうですよね。最後に2つ気になってることを質問させてください。一つは、今後フィルムで映画を撮ることを考えているかということ。今回の『ぼくのお日さま』では非常にフィルム的な質感を表現できていて、逆に言うとデジタルであそこまでできちゃったら、別にそれでもいいじゃないかみたいな気もしたんですね。一方で、自分とかはフィルム撮影というだけで、観る前の心構えとして「おっ!」ってアガるタイプだったりして(笑)。実際、この時代にフィルムで撮影された映画には、やっぱりその良さがちゃんと作品に反映されているケースも多い。

奥山「そのフィルムにある良さっていうのをどうやってデジタルで出せるかなというのは、すごく考えていることで。『ぼくのお日さま』は、まずはそこを極めてみようかなと思った作品だったんです。例えば、デジタルですけど、実際にフィルムで空回しすることで生まれるテクスチャーを重ねてみたり、あとフィルム独特のフォーカスのボケ感っていうのを取り入れてたりしていて」

――なるほど。

奥山「ただ、実際にフィルムで撮ることを考え始めると、自分はすごくテイクを重ねるタイプなので、現実的にはなかなか選択しづらい。長回しもすごくするんですよ。今回、湖のシーンでは本当に1時間回し続けちゃうみたいなこともしたので。そういう意味では、好みとしてはフィルムはすごく好みなんですけど、自分の制作スタイルとの相性は意外によくないのかもなって。CMやMVでフィルム撮影をしたことはあるので、いつか映画でもチャレンジはしてみたいですが」

奥山大史監督
奥山大史監督撮影/河内 彩

「映画というのは、観客だって傷つくことがあり得るアートフォームだということですよね」(宇野)

――最後にもう一つ訊きたいのは、物語の中盤以降での荒川とその周りの人たちの描き方についてです。きっと、作品が公開されたらいろんな意見が寄せられる可能性があることはわかった上で、奥山監督があの描き方や物語の結末を選択したのには、いろいろ理由や葛藤があったんじゃないかと思うのですが。

奥山「葛藤はすごくありました。脚本段階でも、撮影段階でも、編集段階でも、すべての段階でありました。そこでやっぱり議論として挙がったのは、もう少し荒川に希望を持たせる終わり方のほうがいいんじゃないかとか、さくらがどこかで反省の念を述べたりとか、それが無くとも反省や後悔を表すようなシーンがあったほうがいいんじゃないかとか」

――はい、そういう議論を踏まえてのあの描き方だというのは、想像できました。

奥山「あと、さくらに言われたことに対して、もう少し荒川がなにかを言い返してもいいんじゃないかとか。そういった意見は全部わかるんですけど、自分が今回の作品でやりたいこととは違っていたんです。こう、みんながそれぞれが傷ついて――その傷つき方は立場によって違うわけですけど、それでも本人なりにみんなそれぞれしっかり傷ついて――その傷ついた先に別れがあって、でもその別れの先に、きっと学びがあったり、新しい出会いがあるっていうことを感じさせる終わり方にしたかったんです。荒川に関しても、キャッチボールのシーンで、ただの悲観的な終わりじゃないように見せたいなとか。最後、荒川が遠くを見つめる先に、さくらが踊っているようにして、そこからお客さんに希望を感じてもらいたいなとか。そういうことを思いながら作っていったわけですけど、そうですね…わかりにくいところだったり、伝わりづらいところというのは、きっとそれぞれあるとは思うんですけど、観る人なりに、登場人物たちの次の出会いや将来的な気づきを感じとってもらえたらうれしいですね」

『ぼくのお日さま』チーム、第77回カンヌ国際映画祭で朗らかな笑顔
『ぼくのお日さま』チーム、第77回カンヌ国際映画祭で朗らかな笑顔[c]KAZUKO WAKAYAMA

――本当にその通りだと思うし、映画というのは、観客だって傷つくことがあり得るアートフォームだということですよね。

奥山「この前、ちょうど橋口(亮輔)監督とお話した時にも、そういう話になって。やっぱり痛みを描くからこそ、傷ついたことがある人を癒せることもあるんだっていうのを、木下恵介監督の『二十四の瞳』とかを例に挙げながらおっしゃっていて。あの時はこんなに幸せだったよねってことだけじゃなくて、こんな不幸なこともあったということを作品が描いてくれることで、作品に寄り添ってもらえる気持ちになるっていう考えは、すごくわかるなって思いましたね。もし観客が傷つく可能性があるとしたら、作品の前になんらかの警告を入れるべきだ、みたいな意見も最近は挙がるようになってきてますけど」

――自分はそういう議論には異を唱えていきたいと思ってます。

奥山「ただ、そういう意見もある、そういう流れもあるっていうことに対しては、今後もちゃんと意識した上で、作品を作っていきたいと思ってます」

取材・文/宇野維正


宇野維正の「映画のことは監督に訊け」

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