「暮しの手帖」元編集長の10代は意外と破天荒!?『アバウト・レイ』が教えてくれる家族の姿
『リトル・ミス・サンシャイン』(05)『サンシャイン・クリーニング』(08)と、温かい眼差しで不器用な家族の在り方を描き続ける製作チームが再び集結。『アバウト・レイ 16歳の決断』(公開中)では、エル・ファニング演じるトランスジェンダーの主人公レイを軸に、ユーモアと刺激をたっぷり散りばめながら3世代の家族それぞれの思いを映しだす。
「暮しの手帖」元編集長でエッセイストとしても人気の松浦弥太郎さんに、その年齢だからこそ抱えてしまう焦燥感や恐怖心について。そして親世代になって改めて思うことを聞いた。
自分が自分であるということを奪われたくなかった
16歳で高校を中退し、17歳で単身渡米を決めた松浦氏。劇中で、レイは16歳にして身も心も男の子になりたいとホルモン治療の決断をする。髪を短く切り、身体を鍛え、少しずつ“本当の自分”に近づこうとしていくレイの姿に共感を覚えたという。
「10代のころって、なにもかもがわからないことだらけなんですよね。将来だとかいろんなことにただ不安だけを感じていて。でも、そんな中でただひとつだけわかることがある。それは、自分が自分であるということ。そこを他人に譲りたくない、奪われたくないと思うから必死で人生を賭けるような大きな決断ができる。だから、まず希望があるとか、夢があるとかそういうことじゃないんですよね。レイも僕も不安を超えた恐怖心を強く持っていた。このまま流されてしまったら、自分が自分でなくなってしまうという恐ろしさ。だからこそ、進む以外の選択肢はないんですよ」
自分のことを誰も知らない異国の地へ行けば、新しい自分へになれるはず、ブレイクスルーできるはずだと信じていた10代の松浦さん。劇中では、レイの想いをナオミ・ワッツ演じる母親のマギーは受け止めきれず葛藤する。当時の松浦さんは周囲の大人たちにどんな反応をされていたのだろうか。
「当然、子どもの言うことですし周りの人からは心配されました。ただ、僕の場合はもう事後報告で(笑)。いついつからここへ行きますから、と両親に報告しただけ。それでおしまい。それに、当時はネットもなくてガイドブックも『地球の歩き方』ぐらいなもの。圧倒的に情報量が少ないので長めの旅行に出してやるくらいの、案外、気軽なものだったと思います。レイのように、苦労して親のサインをもらうなんてことはなかったですね」。
行ってどうなるかより、行かなかったらどうなるかを考える
大人になったいまになって思うと「当時の決断は、やっぱり若気の至りで無茶なものだった」という松浦さん。年齢的には、母親マギーと似た立場にいまは立つ。保護者の側の視点で観た時に10代の決断を素直に受け入れられないかも、との言葉もポロリとこぼれる。
「僕にも20歳の娘がいますから。当時の僕と同じようなことを言われたらすごく心配すると思います。いまの僕だったら、行ってどうなるより、行かなかったらどうなるかを徹底的に話し合うかな。行動したいと思う気持ち、それ自体はすごく大切です。いまも僕は日々、成長したい、学びたいと思っています。そのためには、やはり無茶でも、無鉄砲でも、行動して新しいことを決断していかないといけない。その勇気は大人になったいまも、ずっとキープしておきたいもののひとつです」。
母のマギーは、治療の同意書にサインをもらうため、何年も会っていない別れた夫に会いに行くが、そこで新たな“家族の秘密”と直面する。物語のラスト、レイの決断を家族はどう受け止めていくのか。物語が進むほどに観客は自分自身の家族への想いも問い直すことになりそうだ。
「家族とはなにがあっても残るものだし、家族愛って生きていくための大きな希望だと思いました。若いころは、どうしても家族の存在を疎ましく思ったり、嫌だと思ったりすることもある。僕自身もそうだったのでわかります。でもやっぱり、きれいごとになっちゃいますけど、親が子を、子が親を尊敬できることが大事だと思うんです。レイとマギーのように、きちんとお互いを認め合えること。そして、そこに理由は必要ないんだと思いました。ただ、存在してくれていることに対してリスペクトを持って、ここにいてくれてありがとうと思える。そういう想いを失ってはいけないなと思いますね」。
文/梅原加奈