“早世の音楽家”ヨハン・ヨハンソン。その功績に映画音楽から迫る
映像と文学、音楽が融合し、観る者のインスピレーションをかき立てる『最後にして最初の人類』
短編『End of Summer』(14)に続いて、ヨハンソンが映像作品の監督を務めた『最後にして最初の人類』。本作は作家、オラフ・ステープルドンが1930年に発表した同名のSF小説を原作とし、20億年後の未来から絶滅の危機に瀕した“最後の人類”が時を超えて語りかけてくるという壮大なストーリーで、ヨハンソンの作家性が全面にあふれだした作品だ。
全編にわたって映しだされるのは、旧ユーゴスラビアに点在する巨大なモニュメント「スポメニック」を様々な角度から16mmフィルムで捉えた荒々しいモノクロ映像。それに合わせて、名優ティルダ・スウィントンが原作小説を朗読したナレーションとヨハンソンによる荘厳な音楽が流れ続けている。一見すると難解で観る者を選びそうな作品ではあるが、およそ地球の建造物と思えないスポメニックと淡々とした語り口のスウィントンの声、幾層にも重なって押し寄せてくる重厚なサウンドが合わさることで、知らず知らずのうちに映像に引き込まれ、地球ではないどこか別の惑星に来たような感覚にさせられてしまう。
映画化にあたって音楽は再構成することになり、その最中にヨハンソンはこの世を去ってしまうのだが、『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』に続いて共同で作業していた作曲家のヤイール・エラザール・グロットマンがその遺志を引き継ぐ形で作品を完成させる。ヨハンソンの指示でナレーションの邪魔をしないようにオーケストラの編成は縮小されたものの、彼の音楽性を堪能するには十分で、その神秘的な世界観は『メッセージ』をはじめ、彼のこれまでの映画音楽を感じられるものになっていると言えるだろう。
生きていれば、数多くのすばらしいソロ作品や映画音楽を発表していたに違いないヨハン・ヨハンソン。それが叶わないいま、遺作となった『最後にして最初の人類』でその才能に触れるとともに、彼に師事したグドナドッティルがどのような音楽を生みだしていくのかにも注目したい。
文/平尾嘉浩