漫画家・鳥飼茜が舞台を観る楽しさに開眼。ジェンダーギャップ、性差別などを描く演劇3本をどっぷり鑑賞体験
■「4.48サイコシス」(飴屋法水)
90年代のイギリスで女性かつセクシュアルマイノリティが受ける抑圧を普遍的に書ききったサラ・ケインの遺作を、飴屋法水の演出で2009年に舞台化。明確な物語がないなか、強度のうつ状態で死の淵をさまよった作者の精神世界が描かれている。
「これは『ザ・舞台』というか、いわゆる私がいままで避けてきた“舞台の真髄”だと思ったので、真剣に見ました。一生懸命なにを言おうとしてるのか、その言葉に共感できるよう集中して観たんですけど、難しかった…(笑)」
――戯曲の段階からはっきりした物語展開やト書きもなく、断片的な場面やセリフから、書き手の精神状態や実際の体験が強く想起されるような作品になっていますよね。作家にとって、自分自身の体験や、特にネガティブな経験を作品に落とし込むことは、作っている間も心理的にかなり消耗することなんじゃないかと感じるのですが。
「意外とそんなことはなくって。例えば心理療法の一種で、トラウマ的な出来事をあえて再現して演じ直すというものがありますが、それに近いと思うんですよね。実際に体験した時には処理しきれなかった言葉や感情を、もう一度シチュエーションとして誰かに演じてもらうことによって、やっと自分と、辛い経験と距離が取れるというか。そういったことは自分の作品でも結構やってるので、少しシンパシーを感じます」
――辛い出来事を“再現する”ことで、自分の中でも受け止め方が変わってくるということでしょうか。
「再現すること自体は苦しいものというよりいっそ気持ちいいことだと思うんですよね。当時は自分がその出来事に支配されていた状態だったけれど、今度は自分が手綱を取ってコントロールできる。もちろん作品に落とし込む過程で、当時の辛かった心情には向き合わなくてはなりませんが、創作する過程で自分が癒されていくので、しんどいってことはないんだと思います」
■「バッコスの信女 ─ ホルスタインの雌」(Q)
市原佐都子が主宰する劇団Qによる2019年の上演作品。ギリシャ悲劇「バッコスの信女」のテーマや構造を大胆に咀嚼し、現代版として書かれた音楽劇。一見普通の主婦、人工授精によって生まれた獣人、去勢された犬などが登場し、現代の複合的な差別を丸ごと取り上げ、突き抜けようとした記念碑的作品。第64回岸田國士戯曲賞。
「最初は『なんの話なんだろう?』と思いながら観ていましたが、だんだん筋書きのしっかりした話だとわかってきました。あとで調べたら、ギリシャ悲劇がベースになっているんですね。獣人役の川村美紀子さんの存在感が圧倒的で、どのシーンも目が釘付けになりました。彼女にしかできない役だと思いますし、そういう人がいるのも舞台のおもしろいところですね。『この人はものすごい才能がある』と感じる人が一作品に必ずいて、その人を見届けるのが楽しいです!」
――3作品の中で、この作品が一番ヘビーな鑑賞体験だったとおっしゃっていました。
「意図して作られていると思うので言葉を選ばずに言うと、あえて露悪的に、ともすれば下劣になるような表現や言葉回しを積極的に取り入れていて、作り手の“怒り”を強く感じました。わたしもよく『怒りで作品を描いているのでは?』と言われますが、衝動的なものは人をこんなにも巻き込んでエネルギーを消費させるし、逆に言うと、演劇の楽しみにはこういう『強い衝動に飲み込まれたい』『圧倒されたい』というものがあるんだな、と一番感じたのがこの作品でした」
――本作のように性差別やフェミニズム、不均衡な関係における暴力といったテーマで作品を描いていると「正解や正義の描き方」について、考えたり問われたりする機会も多いのではないでしょうか。
「作品の中で正解を避けるというのは、自分としてはちょっと不誠実だと思っているんです。やっぱり最後に自分なりの解を出さなければいけなくて、そこから逃げたら作品にならない。仮にそれが『悪い正解』であっても、フィクションとして『あなたはどう思いますか?』と問うことに意味があると思っています。
同時に、正解を『正義』のようには描かないようにしようとも意識しています。暴力やフェミニズムのようなテーマで作品を描くと、その作者が描いていることが正義のように取られてしまいがちだし、逆に『誰がどう考えてもそれは正義だ』ということはそう描かないと、最大公約数の読者に認められない。でも、それってなんの問題の解決にもならないんですよね。いろんな解があって、どれが自分にフィットするかを選べるというのが、こういう問題をフィクションにする意義だと思います。だからこんなふうに舞台で、あえて露悪的に表現できること、それを望んで見に来るお客さんがいること自体がうらやましくもあります」
――もう少しジェンダーの話を伺いたいのですが、この作品の中で女性性については過剰で露悪的に描かれる一方、作中で出てくる男性は顔が見えなかったり、スクリーンに映しだされる顔写真くらいで、存在感が薄いのも特徴かと思います。
「この作品は、あえて、いわゆる『女の人の世界観だ』とみなされるものに寄せて作っているのかもしれないと感じました。わざと女性性を強調させて描いて、そんな偏見や固定概念に対してあなたは怒らないんですか?と問うているんだけど、それに気付かない人もいて、おそらく、そのことへの怒りもあるのではないかと。男性中心社会に泥を投げつけるようなシーンも沢山あり、正直自分が作品を描く時には避けてきたやり方だと感じたんですが、逆に『なんでわたしは避けていたんだろう?』と考えるきっかけにもなりました。
自分が作品を描く時は、ここぞというシーン以外は、男の人の怒りを必要以上に買わないよう気にしている感覚があります。それは怖れからではなく、こちらが男性中心社会への怒りをぶつけるにしても、まず対象である男性に読んでもらわないとどうにもならないと考えているから。『この描き方だとちょっと下品かもしれない』と気にすること自体が『嫌だと思っていることを怒って言ったら誰も聞いてくれないよ、もっとユーモアを交えなきゃ』みたいなトーンポリシングなのかもしれない。その態度はいまでも必要なのかということも考えさせられました。こんなふうに同じテーマの演劇を一気に観ることって普段なかなかないので、すごくおもしろい体験でした」
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取材・文/北原美那