アジアの作家たちが大躍進。第76回カンヌ国際映画祭が提示した“新たな映画の可能性"

コラム

アジアの作家たちが大躍進。第76回カンヌ国際映画祭が提示した“新たな映画の可能性"

撮影・録音禁止!タランティーノの極秘上映会も開催

併設部門の監督週間は、昨年までは「Réalisateurs」という“監督”を意味する単語だったが、今年から「Cinéastes」と名称を変更。際立つ作家性に注視する部門へと舵を切ったようだ。今年のセレクションには、フランスのミシェル・ゴンドリー、韓国のホン・サンスといった「auteur(映画作家)」という言葉がふさわしい監督の作品が集められ、ベトナムのティエン・アン・ファム監督が『Inside The Yellow Cocoon Shell(英題)』で、全部門から選出される新人賞にあたるカメラドールを受賞している。

監督週間の特別企画としてタランティーノのトークが実施された
監督週間の特別企画としてタランティーノのトークが実施された[c]SPLASH/AFLO

監督週間の特別企画として、映画の祭典と作家性重視部門にふさわしい、クエンティン・タランティーノのトークも行われた。上映作品は当日まで秘密、映画上映のあとにタランティーノが登壇しトークを行ったこのイベントは、「撮影・録画・録音禁止」という厳戒態勢。タランティーノが舞台に登場すると、チケットを入手できた幸運な観客は大きな歓声で迎え入れた。「今日のサプライズ上映は…『ローリング・サンダー』の35mm上映!」と彼が告げると、歓声はさらに大きくなった。タランティーノが昨年上梓した著書「Cinema Speculation」でも、本作のジョン・フリン監督についてたっぷり書いているほどの、最愛映画の1本である。

グランプリプレゼンターのロジャー・コーマンと登場したタランティーノ
グランプリプレゼンターのロジャー・コーマンと登場したタランティーノ写真はFestival de Cannes(@festivaldecannes)公式Instagramのスクリーンショット

撮影・録音禁止というので最も印象に残った発言を。タランティーノはトークのなかで、「バイオレンス映画が大好きだ」と認めながら、「自分なりに絶対に超えてはいけない線引きがある。それは、動物を虐待する描写はやらないこと」ときっぱりと宣言し、その発言に客席から拍手が起きた。カンヌでは閉会式のグランプリプレゼンターのロジャー・コーマンを迎え入れる役目も果たし、これから最新作にして最後の(?)長編映画の制作に入るという。なお、カンヌ映画祭監督週間は12月8日(金)から21日(木)まで、「カンヌ監督週間 in Tokyo」と題し東京でショーケース上映を行うことが映画祭期間中に発表された。

アジアの作家たちにスポットライトが当たった今年のカンヌ

先述の通り、ベトナムのティエン・アン・ファム監督がカメラドールを受賞し、同じくベトナム出身で現在はフランスで活躍するトラン・アン・ユン監督が『THE POT-AU-FEU(英題)』で監督賞、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の『About Dry Grasses(英題)』に出演したメルヴェ・ディズタルが女優賞、そして坂元裕二の脚本賞と役所広司の男優賞を合わせると、7つの賞のうち4つの賞がアジア系クリエイターに授けられたことになる。

女優賞を受賞した『About Dry Grasses(英題)』
女優賞を受賞した『About Dry Grasses(英題)』

また監督第1作と2作目の作品を集めた批評家週間の審査員グランプリには、マレーシアの女性監督初のカンヌ出品となった、アマンダ・ネル・ユー監督の『Tiger Stripes』が輝いている。今年は、かつてないほどアジア映画とアジアの作家たちにスポットライトが当たった年だったと思う。

批評家週間の審査員グランプリに輝いた『Tiger Stripes』
批評家週間の審査員グランプリに輝いた『Tiger Stripes』

カンヌをはじめとした国際映画祭は、現在の社会を描き出す作品・作家を集め、映画祭が世に問うテーマを浮き彫りにする。今年の作品群に共通していたのは、映像に見えないものをどう描き出すかという映画作家たちの挑戦だったように思う。パルムドール受賞作の『Anatomy of a Fall』では、夫の不審死を疑われた妻の裁判に、視覚障害を持つ11歳の息子が証人として出廷する。グランプリのジョナサン・グレイザー監督『The Zone of Interest』では、アウシュビッツ収容所の隣に住むナチス司令官一家の生活を描くなかで、奇妙な音や光源が史実のメタファーとして挿入される。

『怪物』記者会見の様子
『怪物』記者会見の様子[c]2023「怪物」製作委員会

坂元裕二は『怪物』の記者会見で、「私たちには、生きているうえで見えていないものがある。それを理解するにはどうすればいいのか、そんなことを物語にしたいと常々思っていました」と語り、是枝監督は坂本龍一が遺した音楽を用いて“見えないもの”を描き出した。ヴィム・ヴェンダース監督の『Perfect Days』で、公衆トイレの掃除員の平山(役所広司)は、“木漏れ日”を写した写真を集めている。映画の観客は、木々の間から溢れる光を見つめる平山の視線を追体験していると、彼の淡々とした日常に宿る精神を自分のもののように感じられるようになる。人間は目に見えないものも見ることができるのだ、という実験のような作品だった。

渋谷を舞台にトイレ清掃員をの日々を描く『Perfect Days』
渋谷を舞台にトイレ清掃員をの日々を描く『Perfect Days』


目で観て、耳で聴いて、2時間程度の映像を体験し、人々は映画の感想を持つ。スクリーンに映し出されるものからそれぞれの人生や体験が想起され、忘れられない鑑賞体験となる。映画の在り方が盛んに議論されたパンデミックの3年間を経て、または分断が進む社会を前に、カンヌ映画祭は新たな映画の可能性を提示しようとしているのではないかと感じた。

取材・文/平井伊都子

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