是枝裕和、行定勲が“映画の未来と配信”をスターサンズ・東宝・Netflixの映画人らと語り尽くした1万字レポート
配信の時代における“映画”とは?「配信から新しい観客と新しい作り手が生まれていく」
坂本「これまで以上に作品が求められる時代になったうえに、求められるものがボーダーレスになってくる時代。出会う機会が増えることで、才能の発掘や交流が加速すると見ています。プロデューサーとしてはクリエイターの方に最大限才能を発揮できる環境を用意することが責務で、クリエイターの方は全世界に向けてどこまでフルスイングできるかが問われる時代。ぜひオールジャパンでタッグを組んで良い企画を出していきたいと思います。配信の時代における映画とは、作り手の方が映画だと思えば映画で、形式にこだわらず視聴者や作り手が決めるものだと思います」
行定「僕は『くまもと復興映画祭』のディレクターをやっているのですが、そのきっかけとなったのは、熊本の北部にある菊池という映画館のない小さな町の人たちに『人が来ないから助けてほしい』と言われたことでした。その時に、『なんで映画をやろうと思ったの?』と聞いたら、『映画はたくさんの人を集めてみんなで観るものですよね』と言われて、心打たれたんです。映画を作っても簡単に人は来てくれないと思っている自分がいたのが恥ずかしくなったぐらいです。配信でも上映でも、作品がたくさんの人の目に触れてくれる。たくさんの人が観て共有する。映画はそういうものであってほしいと思います」
リム・カーワイ「僕も映画という定義は、配信がない時代だったら『劇場で観るものが映画』というのが当たり前でした。でも配信ができたいま考えてみると、それでも映画に定義はあるのかもしれない。Netflixのオリジナル作品を観ても、『アイリッシュマン』はテレビドラマには向かない。デヴィッド・フィンチャーも、『Mank/マンク』と『マインドハンター』では映画とドラマをすみ分けて作っているように思える。逆を言えば、映画がなにかを定義しないと未来はないと思うのですが、それを言うとあと90分はかかりそうです(笑)。ひとつ言えるのは、『愛の不時着』は、“映画”にはなり得ないということですね(笑)」
是枝「僕自身テレビの出身なので、自分が作っているものが“映画”なのかと自分自身に問いかけながら作っています。このコロナで映画が外側から揺らいできている状況だからこそ、すごくおもしろい作り手や作品が出てくるだろうという気もしている。従来の定義を更新していくような体験を提供するのは映画祭の役割。新しい映画の形を提示して、観てくれた方がこれが映画なのかそうでないかを語り合うのも映画祭の醍醐味だと思います。
アートハウスのない地域でも配信を通じて多様なジャンルの多様な方法論に出会うことはチャンスで、そこからきっとまた新しい観客と新しい作り手が生まれていく。そのなかで、いま以上に映画館というものが多様性を失っていかないことを願っています。配信が多様性を獲得する流れに反比例するようでは元も子もないから、両立する道を探りたいな。そしてできるだけ作品を作ったら東京以外のアートハウスを回ってお客さんの顔を見て伝えていきながら、配信でも広げていくことを意識的にやらないと、本当にミニシアターは消えてしまう」
行定「僕らは映画館がなくなってしまうという言葉は絶対に言いたくない。僕らの表現の場は映画館なんだと。ただ、両立していく上で1作品1作品が、どう生まれてどう育てていくのかが大切。受け取ってくれる観客が僕らを鼓舞してくれたり、満足いかないということを伝えてくれれば僕らも対峙するしかない。新しい観客を獲得していくことがこれからの課題なんだと思っています」
文/久保田 和馬