人の“つらさ”に寄り添い続けた歌人の遺した想いを精神科医が『滑走路』から読み解く!
胸に秘めた思いは大切な人との関係に影響を及ぼすことも
また、学生時代を終え、社会人になり家庭を築いても、心地よく生きていくのは簡単ではありません。時には一番近くの人との関係性にも影響をもたらすことがあります。本作にでてくる、お互いの持つ才能や子作りに対する価値観の違いに悩む夫婦は、どちらも美術を仕事にしていて、翠はアーティスト、夫の拓己(水橋研二)は美術教師です。2人は家計も家事も協力し合い生活してきていて、一見円満のようです。でも拓己は、自分も賞賛を得たいのに才能に限界があり、その夢は叶わないという葛藤を1人で抱えています。誰かに相談でもできれば少しは楽になるのかもしれませんが、ある程度の年齢になっても「才能がないらしくて悲しいんだ」なんて漠然とした青くさい悩みを吐露することは、言われたほうも困るだろうし、なかなか素直に人に言うには勇気が必要なのです。
この葛藤は、僕も音楽活動に夢中になっていた時に感じていたものなので、かなり理解できるような気がします。せめて翠にだけでも言えたら良いけど、翠はすぐ隣でいよいよ才能が開花して賞賛を得始めます。有名になることについては自分よりも無欲だった妻に才能があり、自分はその欲を満たすに至らない。徹底的に“無欲で献身的な夫”を演じてきた彼ですが、ますます胸の内を話せなくなり、無理が生じて少しずつ、確実に2人の関係はギクシャクを極めていきます。
本作にはほかにも、現代社会で生きづらさを抱え、それを誰かと共有することもままならず、孤独にさらされている人が何人も出てきます。彼らの運命が交錯したりしなかったりするこの群像劇は、わかりやすいハッピーエンドでも、バッドエンドでもありません。人生とはそういうものなのだと思います。自分ではどうにもならない社会のつらさが多く描かれていて、決して楽に観られる映画ではありませんが、登場人物の物語に触れるうちにいつかのつらい自分が重なって、つらかったのは自分だけではなかったのかもしれないと少し孤独さが緩まったり、気づいたら大切な人の顔を思いだして、もう少し丁寧に対話をしてみようと気持ちを新たにしていたりと、小さな光が差す作品だとも思います。
人のつらさに寄り添い続けた萩原慎一郎の短歌から溢れる希望
鑑賞後、萩原慎一郎さんの「歌集 滑走路」を読みました。簡単には言葉にならない、いろいろな解像度の“やるせなさ”が、言葉だけでなく、言葉と言葉の間や、歌と歌の間にも多彩に滲んでいました。そして同時に、萩原さんがなんとか握りしめていた“希望の種”のようなものも感じ取ることができた気がしました。歌集に収録されている「滑走路」という歌は特にその要素が強く、萩原さんは、ご自身のことを歌にしながら、この社会で人知れず弱っている人のいろいろなつらさを知り、気づいたら隣に居るような、“わかってくれる人”だったのだと思います。
だからこそ、この映画は群像劇になったのでしょう。萩原さんの個人的な歌を原作に紡がれた物語たちは、この社会で歯を食いしばりながら生きる我々それぞれの物語となり、少しずつ救いや祈りをもたらします。そして恐らく、この映画や歌集を、決して楽ではなかった2020年に体感することは、次の段階への滑走路となり得るものなのだと思います。
文/星野概念