ノーランからスピルバーグまで!『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』からひも解く「戦争×子ども」映画たち
1979年に放送され、多くの続編や派出作品が作られてきた、日本を代表するロボットアニメ「機動戦士ガンダム」。全43話のなかでも伝説といわれている第15話を映画化し、約40年ぶりに15歳の少年アムロ・レイの物語がスクリーンに蘇る『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』が6月3日(金)より公開される。
もともと1話完結エピソードであった第15話を長編映画にするにあたり、テレビシリーズよりリアルな舞台設定がなされ、多くのキャラクターたちが物語に深みを与える役回りで登場する。「ガンダム」の集大成であり、そのおもしろさが凝縮されている本作は、ほかのエピソードもこのクオリティで観たくなるほど、いまの時代の映画として翻案がなされ、迫力あるモビルスーツでの戦闘描写だけでなく、戦禍で生き抜く子どもたちのドラマが丁寧に映し出されている。今回は「ガンダム」の魅力のひとつである「戦争と子ども」の物語について、数々の戦争映画に見る共通項からひも解き、魅力に迫っていきたい。
『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』は、アムロたちの乗るホワイトベースが「帰らずの島」と呼ばれる無人島の残敵掃討任務に向かうところから物語が始まる。任務に当たっていたアムロは1機のザクと遭遇し、戦闘の末にガンダムを失ってしまう。目覚めたアムロは、無人島と思われていたその島で暮らす、元ジオン公国軍の脱走兵ククルス・ドアンと20人の子どもたちに出会う。
少年と馬の友情を描いた『戦火の馬』
本作の中心人物であるドアンは、子どもたちを守るため、島に近づく軍隊を例外なく戦闘不能にして追い払っている。アムロもほかの部隊と同様にドアンとの戦いに敗れるが、ドアンによって助け出されたアムロは、敵である自分に優しく接するドアンに戸惑う。そして失ってしまったガンダムを見つけ出し、島から脱出をするために奮闘するも、島で生活をするうちに徐々にドアンや子どもたちと心を通わせていく。
アムロとドアンのようなお互いに銃を向けあう敵対関係でありながら、ときに協力し合ったり笑顔で接する作品として想起されるのが、『レディ・プレイヤー1』(18)でクライマックスにガンダムを登場させている巨匠スティーヴン・スピルバーグ監督の、戦争を通して少年と馬の友情を描いた名作『戦火の馬』(11)だ。イギリスのとある農場で1頭の仔馬の誕生を目撃した貧しい農民の少年アルバートは、やがてその仔馬を父が馬市で競り落とし、ジョーイと名付け手塩をかけて育て上げる。しかし、第一次世界大戦が開戦すると軍騎兵部隊にジョーイを買われてしまい、アルバートとジョーイは別々の運命を歩むことになる。
軍馬として戦場を駆け抜けるジョーイが、張られていた鉄条網に絡まり動けなくなってしまう場面では、助けに向かうのはイギリス兵とドイツ兵の本来は敵同士の2人。協力してジョーイを助け出すと、お互いの無事を祈りつつ、再び自分たちの戦場へ戻っていく。こういった描写からは、『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』でアムロとドアンが島で交流し、子どもたちを共に守ろうとするシーンに近いカタルシスを覚えるはずだ。また軍馬として買われてしまった馬のジョーイを探して、アルバートがイギリス軍兵士となり成長していく姿は、ドアンの島に住む孤児たちの年長者であるマルコスが、ドアンを支え子どもたちを守るために自分も戦うと志願する姿にも通じる描写だろう。
ちなみに敵兵同士の交流は実際にあり、有名なのは1941年12月24日から25日に西部戦線で起こったクリスマス休戦だろう。最前線で戦っていたドイツ兵が、イギリス兵に「クリスマスだから」と自主的に休戦を持ちかけ、お互いに酒を酌み交わし、歌い踊り、サッカーをして楽しんだ。この出来事は映画『戦場のアリア』(05)やポール・マッカートニーのMV「パイプス・オブ・ピース」(80)で描かれている。