『ある男』石川慶監督の端正な手つきが、“日本映画的”な風土にもたらす違和感。その正体とは?【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】
宇野「『ある男』でいうと、柄本明さんが手を出したあとに手の跡がフワッと消えたりするところとか、窪田さんがランニング中に倒れて、逆側の上から捉えるとか、印象に残るショットがいくつかあるんですけど、ああいうのってやりすぎるとちょっとやかましくなるというか、小賢しくなるというか、そういうバランスってすごく難しいと思うんですけど、石川監督の作品ってそういうバランスがいつも絶妙なんですよね」
石川「そういうショットも、まずは現場で撮らせてもらって、編集で判断することが多いですね。あの手のカットにしても、どうしようかなあと思っていたところはあるんですが、柄本さんの異世界感というか、あれがやっぱり主人公の城戸(妻夫木聡)にとってググッと自分自身の中に入っていくきっかけになったシーンなので、なにかしら違和感を残したいなと思っていて。美術部さんにお願いして、下にドライアイスを仕込んでとか、使うか使わないかわからないのに大変な準備が必要なんですけど。あと、重要なのはそれを映す秒数で、スピードを変えて2秒の場合、3秒の場合と、どれぐらい印象が変わるかみたいなことをいつも編集室でやってますね」
「“いままであったけど、なくなっちゃったもの”にヒントがあるんじゃないか」(石川)
宇野「なるほど。どの作品も少なからずそうだとは思いますが、そういうところは石川監督作品の端正さの理由を考える上で、特に重要な鍵なのかもしれませんね。マーケット的には、日本映画、特に実写映画は、正直いまかなり厳しい状況にあるわけですけど、メジャーからもちゃんとそれだけ緻密かつ手間をかけて作られた作品が生まれているのが救いだなって」
石川「いまの日本映画の状況って、やっぱり我々作り手がちゃんとしたものを作れていないと言うところが大きいなあと思っていて。先ほど野村芳太郎監督の名前を出されましたけど、今回、取材の場でも自分から『砂の器』あたりの作品をイメージしたって話はしているんです。あのころってちゃんとしたエンタテインメント作品にオールスターキャストが集まっていて、でもストーリーとしては骨太で、ものすごい数の観客がそれを観ていたわけじゃないですか。最近は、ちゃんと作ってる作品とそうじゃない作品に完全に二極化しちゃって、その中でもあのころの日本映画の大作のような作品って本当に見ないなあって思っていて。公開されてみないと分からないですけど、『ある男』には、そういうものをいま出したら、映画ってやっぱりおもしろいねって思ってもらえるんじゃないかなって希望を込めています。だから、自分は誰かの後追いっていうよりも、いま作られていないところに答えがあるような気がしてるんですよね。それが“新しいもの”である必要もない気もして、“いままであったけど、なくなっちゃったもの”にヒントがあるんじゃないかって。まだ試行錯誤している最中ですけどね」
宇野「例えば野村芳太郎でいうと、興行的には大成功してきましたけど、批評家から顧みられる機会って意外なほど少ないし、いわゆるシネフィル的な人たちが回顧上映に押しかけるような監督でもないじゃないですか。それも一つの映画監督としてのあり方ではありますけど、石川監督が目指している監督としてのパブリックイメージがあるとしたら、それはどういうものなんでしょう?」
石川「いや、それこそ試行錯誤というか、まだ探っている段階です(笑)。でも、あんまり自分が自分がっていう欲求はないんですよね。自分が作品の前に出たいとは思わないですけれど、かといってプログラム・ピクチャー的な作品を撮ってきたいと思っているわけでもないというか。だから、野村芳太郎監督もそうですし、あとは森田芳光監督とか。大きい作品を撮りつつも、作家性はずっと維持しているし、ちゃんと自分がおもしろいと思っていたものを撮り続けてきた方を意識したりはしますけど」
宇野「確かに、森田監督は初期の『家族ゲーム』とかのころはその作家性の特異さについていろんなところで散々語られましたけど、後年になってからは絶妙なバランスを維持してましたよね。観る人にとってはブランドなんだけれど、そうじゃないお客さんもちゃんと映画館に来るみたいな。そういう健全なバランス」
石川「そう言いながらも、メジャーだけで撮っていくつもりではないというか。いま抱えているものとかは全然違ったりもするので。なので、最近はあまり考えすぎないようにしています。机の上にあるものを精一杯ちゃんとやるっていう」
宇野「でも、作品のオファーを受ける基準は明確にありますよね?」
石川「そうですね。ただ話がおもしろいってことじゃなくて、2、3年かけて自分が取り組めるだけのなにかがあるのかどうか。そういう価値観をプロデューサーや会社と共有できるかどうかみたいなことは、すごい気にしながらお話をしてますね」
宇野「どうしてこういう話をしてるのかというと、端的に言って、いまの日本映画界において最も過小評価されている監督の一人なんじゃないかと思ってるからなんですよ」
石川「どうだろうなあ(苦笑)。でも、ありがたいことに業界の周りっていうか、近い人たちにはちゃんと評価していただいている感じで、あまりそういう自己認識はないというか。自分が、職人的なことに憧れがあるからかもしれませんが、あんまり監督が出なきゃいけない、みたいなのは…。なんかちょっとそういうところあるじゃないですか、監督のパーソナリティはちょっと変わっていたほうがいいみたいな」
「現在の国外の映画界の状況にも通じているクリエイター同士のつながりが生まれているというのは、すごく希望がある話」(宇野)
宇野「それは確かにもう古い価値観ですよね(笑)。ただ、監督への評価って3つあるとしたら、映画業界と、お客さんと、いまではすっかりやせ細ってしまった映画批評の世界だと思うんですけど。僕が言ってるのは主にその3つ目ですね。自分もメディアに頼まれてやりますけど、年間ベストとかでも、もっと高い位置にいていいだろうみたいな。監督自身は言いにくいと思うので自分で言っちゃうと、それはきっと今日おっしゃっていたような『昔から友達の映画人みたいな人が日本国内にはほとんどいない』みたいなこととも関わっていると思うんですけど」
石川「いい作品をちゃんと作れていけば、批評家の方たちにも、そのうちちゃんと評価してもらえるかなあ、くらいですかね。最近は監督同士の横のつながりもできてきて、自分としては良い方向にいってる気がしてます」
宇野「先日の東京国際映画祭でも一緒に登壇されていた川村(元気)さんや、そこでも名前が挙がっていた是枝(裕和)さんとかですよね。そういう日本映画的な風土と離れたところにいる、現在の国外の映画界の状況にも通じているクリエイター同士のつながりが生まれているというのは、すごく希望がある話ですよね」
石川「でも、実は『頑張って海外で活躍したい!』っていう想いはそこまで強くないんですよね。もちろん、海外で評価されるのはうれしいですけど、若いころにずっと海外にいたというのもあって、それでまた海外に行ったら、映画を撮るために日本に帰ってきた理由がなくなっちゃうじゃないですか」
宇野「確かに。そこに幻想をあまり抱いていないっていうのも、石川監督のおもしろいところですね」
石川「はい。外に受ければいいって言うよりも、まずは足元である日本で、自分の作品をちゃんと楽しんでくれる人がいるっていうことが大事かなあと思ってます」
取材・文/宇野維正