『ある男』石川慶監督の端正な手つきが、“日本映画的”な風土にもたらす違和感。その正体とは?【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】
宇野「そこから日本に戻って『愚行録』を撮るという、そのギャップがすごい(笑)」
石川「でも、日本に戻ってきてから7、 8年はかかってるんです。学校を出てからも、友達とプロダクションを作ったりしてポーランドに残っていたんですけど、EUのパスポートがないとなかなか難しくて。ポーランドの映画界は助成金を受けられるかどうかがものすごく大きくて、予算の半分以上は助成金で映画を撮るのが主流でした。いまはどうかわかりませんが、当時はアンジェイ・ワイダ監督が作品を撮る年は、ほかに誰も撮れなくなるっていうぐらい、助成金が全部そっちに行っちゃったりして(笑)。それでちょっと難しいなとなって、“一旦ベースを東京に戻して”ってぐらいの気持ちで帰ってきたんですけど。そこからがなかなか厳しかった。企画を持っていっても、短編をいくら見せても、全然響かなくて。その中で興味を示してくれたのが、当時のオフィス北野のプロデューサーでした」
宇野「じゃあ、そのプロデューサーは恩人っていう感じなんですか?」
石川「そうですね。結局、当初の企画は実現には至らなかったんですけど、それで『残念でしたね』で終わるんじゃなくて、『これもご縁なんで』と原作ものも含めていろいろ可能性を探りましょうって言ってくれて」
宇野「『愚行録』のような作品が一本かたちになると、状況は全然変わってきますよね」
石川「ただ、『愚行録』のあとにくる依頼は、“イヤミス”系みたいな作品ばかりで」
宇野「ああ、なるほど(笑)」
石川「別にそういうのが嫌いなわけではないんですけど、そればっかり受けていると、なんとなく“原作のあるサスペンスものだけやる監督”になっちゃいそうだなあと思って、基本的にお断りしてたんです。それで2作目では『蜜蜂と遠雷』をやったっていう経緯もあるんですけど。ただ、今回の『ある男』に関しては、やっぱり原作がおもしろかったっていうのが一番大きいですね」
宇野「これまで長編4本の特徴を言うと、すべてが原作ものであり、全部がメジャー配給である。しかも、ワーナー、東宝、松竹といろんなところで撮られている。それは結果論っていう感じですか?」
石川「そうですね、原作ものが続いてるのは、ある程度結果論かなあと思います。オリジナルで進めている企画もあるんですけれども、やっぱりオリジナルって、ちょっと野心もあったりもして。全部ポーランドで撮りたい企画とか。そんな簡単には動かない企画なんです。日本に戻ってくるきっかけになったものとかも、いまでも水面下でやっていますし」
宇野「ちなみにそれは、ジャンルで言うと何なんですか?」
石川「ちょっとサスペンスの入ったヒューマンドラマみたいな感じです」
宇野「メジャーで撮り続けている理由は、なにかあるんですか?大前提として、話がくるからというのはあるんでしょうけど」
石川「メジャーで撮り続けてるのはいろいろ理由があって…。日本に戻ってきて7、8年、映画を撮れずにいた時期に、いろんなところに話に行くと、まずは自主(制作)でもなんでもいいから長編を撮りなさいと言われるんですよね。でも、自分はずっと海外にいたので、学生の時からの友達に頼んで…みたいな横のつながりがないんですよ。いま組んでいる方たちも、お仕事として始まった関係の方ばかりで。そうなると、スタッフの生活のこととかいろんなことを考えても、ある程度の予算の規模感の中でやるというのは監督の義務でもあるなって」
宇野「なるほど。おっしゃるように、日本にバックグラウンドがあるのとないのとでは、映画を作る環境が全然変わってきますよね。ただ、日本のメジャー映画って、必然的に芸能界と近しくなってくるじゃないですか。日本にいなかった時期が長かったことで、芸能界の土地勘があまりない、みたいなところの良し悪しもあったんじゃないですか?」
石川「いや本当に。10年ぐらい知識がぽこっと抜けてるんで(苦笑)」
「自分の中では石川作品の妻夫木聡さんはちょっと別格なんですよね」(宇野)
宇野「今回の『ある男』もそうですけど、『愚行録』の時点で豪華なキャストが揃っている。豪華なだけじゃなくて、そのすごく的確かつ新鮮なキャスティングで当時びっくりしたんですけど」
石川「そうなんですよね、でも、当時は本当に最近の日本映画のことを知らなかったんで、『愚行録』のキャスト会議の時とか、机の下で名前をググりながら参加してました(笑)。知っているかのようにうなずくっていう(笑)」
宇野「スタッフの方が優秀だったんだ(笑)」
石川「さすがに妻夫木(聡)さんや満島(ひかり)さんのことは知ってましたけど、中村倫也さんとか、松本若菜さんとか、松本まりかさんとか、当時はまだそこまで映画に出てなかったので。いい方々と最初から出会えたなっていうのは自分でも思います」
宇野「今回の『ある男』は、石川監督の映画としては『愚行録』以来の妻夫木さんの主演作品ですけど、かっこいい映画だなって思ったのは、始まって30分以上経っても主役が出てこないじゃないですか。自分は好きな監督の作品はできるだけ事前に情報を入れずに、なんならポスターのビジュアルも見て見ぬふりみたいな状態で観ることが多いんで、普通に『ああ、これは窪田(正孝)さんと安藤(サクラ)さんの映画なんだなあ』と思って観ていたら、途中でいきなり妻夫木さんが出てきて『え?主役はこっち?』って(笑)。作品の構成としてはかなり変則的ですよね」
石川「原作ではそこまで執拗にはやってなかったんですけど、たまにそういう映画ってあるじゃないですか。『この話どこに行くんだ?』っていうギアの入り方をする作品が、自分は好きなんですよね。それと、今回は誰が主役って言うよりも、いろんな人物や出来事にいろんなところから光を当てて、それを多面体として見せていきたいっていうイメージが自分の中であって。それで言うと妻夫木さんが主役であることには変わりないんだけれど、その前後にいろんな人にバトンが渡されていく感じにしたかったんですよね。ただ、脚本や編集の段階で『早く主役を出せ』っていうのは散々言われましたけど(笑)」
宇野「ですよね。それを撥ねつけて、こうして成立させたのがすごいなって。あと、妻夫木さんはもちろんいい役者さんですけど、自分の中では石川作品の妻夫木さんはちょっと別格なんですよね。あの整った容姿の内側にある不安定な感じ、繊細な感じを、石川監督は毎作見事に掬い上げていて。(スティーヴン・)スピルバーグとトム・ハンクスみたいに、映画監督には定期的に同じ主演俳優で撮って、それが観客にとってもある種の定点観測みたいになっていくっていう関係性があるじゃないですか。石川監督にとっての妻夫木さんはそういう役者なのかなって」
石川「確かに、自分としても妻夫木さんにはそういう絶対的な信頼感はありますし、将来的にもいろいろ作品が一緒に作れるといいなあって思ってます」