辻村深月、原恵一、吉野耕平、梶裕貴が語り合う『かがみの孤城』&『ハケンアニメ!』の“刺さる”魅力と、創作へかける想い
「2つの作品が刺さってくれて、自分の弟や妹がいっぱいいるような気持ちになりました」(辻村)
――原作者である辻村さんは、生みだした作品が映画として皆さんに届いていることについてどのように感じているのでしょうか?
辻村「もう、この2つの作品がそれぞれ、すごくいろんな人に刺さってくれたという感じがあります。いまこの場を設けていただいたうれしさもそうですし、作品を観てくれた人があとから両方原作が辻村だと気付いて、信頼感しかないと言ってもらえたことがすごくうれしくて。いろんなところに自分の弟や妹がいっぱいいるみたいな感じになりました。
『ハケンアニメ!』がNetflixで配信されて、配信で観たという人からも反響をいただいて、またこうしてスクリーンで上映もしていただける機会があって。そこに両方の作品の監督も、梶さんも来てくださった。そうだ、私だけじゃなくて梶さんも両方に関わってくれたんだと気付いた時に、なんて頼もしいと思ったことか。声優業界やアニメ業界、映画業界に、頼もしい仲間ができていたんだなと伝わってきました。もちろん作品を観てくださった皆さんも仲間です。どんどん映画を観てくださる方が、自分の映画だと思ってくれる作品になったので、いまも旅の仲間が増え続けている状態でとてもうれしいんです」
原「辻村さんの原作の魅力っていうのは、ミステリーであるしファンタジーであると同時に、どこか普遍的な若者の悩みや辛さを描いているから、これだけ多くの読者や観客を獲得できているんだと思います。ちゃんと読む人や観る人に寄り添ったものを描いている。
ちょっと話が逸れちゃうんですが、『ハケンアニメ!』のなかで2つの作品が同じ時間の裏表で視聴率を争っているという構図は、たぶんいまの若いお客さんにはよくわからないんじゃないかと。僕なんかが20代の頃には、視聴率はそれだけで評価されてしまう数字で本当に憂鬱なものでした。良ければいいけど、悪かったらプロデューサーから『なんで落ちたんだ』と言われて、本当につまらないテコ入れとかアイデアが出されちゃうんですよ。これが本当に信じられないくらい低レベルなのに、本気で言ってくるから嫌になっちゃいますよ(笑)。
一番記憶に残っているのは『エスパー魔美』をやっていた時に、途中から別の局で『ミスター味っ子』が始まったんですよ。そしたらそっちに数字が取られてしまって、『エスパー魔美』は意識的に地味な作品にしていたのですが、『ミスター味っ子』の方はものすごい派手な演出をする作品で。シンエイ動画にはみんなが集まってくつろぐ場所にテレビが置いてあったんですけど、『エスパー魔美』が始まる時間になるとみんな集まって『ミスター味っ子』を観て、『すげえ!カツ丼が光ったぞ!』って笑ったりして(笑)」
「監督も演出も普通の人間。結果を残さなきゃいけないプレッシャーがある」(吉野)
吉野「昔からアニメ業界のこういう裏話を聞くのが好きだったんですけど、まさかここで新たなエピソードが聞けるとは思わなかったです(笑)。しかも自分が観てた『エスパー魔美』と『ミスター味っ子』の裏にこんなことが…興奮しちゃいます。でもやっぱり監督と呼ばれる人も演出と呼ばれる人も普通の人間。なので結果を残さなきゃいけないプレッシャーがありますよね。その辺のヒリヒリする痛みが『ハケンアニメ!』の原作では地に足ついた感じで、社会人として立ち向かわねばならないものとして描かれていた。そこに自分もリアリティを感じてワクワクしたんです。
ちょうど前作の『水曜日が消えた』を撮り終えたばかりだったので、プロデューサーからのプレッシャーに苦しんでいましたし(笑)。言っている側も苦しめようとしているのではないけど、監督から見ると『なんだそのアイデアは?』ってこともあったり、そうした制作現場の混乱とかヒリヒリ感がすごくありました。ちょうどその時僕が心の拠り所にしていたのは、原監督がかつて湯浅政明監督にかけた言葉だったんです。『アニメーション監督 原恵一』で読んだのですが、湯浅監督が一作目を撮る時に『いまさらジタバタしたってしょうがないよ。いま持ってるものが出るだけだから』と。それが自分の一作目のヒリヒリに繋がり、『ハケンアニメ!』のヒリヒリに繋がって、いまの自分に至っています」
原「光栄です」
吉野「なので、今日はいろんな意味でうれしくて。先ほど楽屋で最初にご挨拶をして、その本にサインをいただいてしまいました(笑)」
一同「(笑)」
原「いまの日本のアニメはレベル的には世界一です。全部じゃないですけど、できのいい作品は間違いなく世界一のクオリティで作ってる。ですが、僕が業界に入った時にはこんな時代が来るなんてまったく想像できなかったんです。アニメもそれほど作られていなくて、映像としては実写に比べて低く見られていました。とくにシンエイ動画は藤子・F・不二雄先生の作品が多かったので、同業者からも子ども向けだと馬鹿にされていました。意気込んでアニメ界に入ってくる人はもっと尖った現場に入りたがっていましたけど、僕はF先生の描かれたものががそういう作品に劣るとはまったく思っていなかったし、わかっていない奴らが馬鹿だとすら思っていました。
でもちゃんとそういう時代がきました。いまではF先生の作品を大人が観ても、誰もおかしいとは思わないじゃないですか。世界中で認知されていますし、すごく不思議な気持ちです。僕自身も海外に行く機会も増えましたし、行くとみんな僕の作品を遡って観てくれている。だからもうちょっと若い時に、そういう時期を迎えたかったかもしれないですけど…。でもそこに後悔はないですね。
いま63歳で、フリーランスとしてやっている。フリーランスに許されていることは、やりたくない仕事はやらなくていいこと。その状態で、周りに媚びるようなことをしないで作品を作れるのは、自分のいまのキャリアとこれまで作ってきた作品が自分の看板になっているから。その辺のスタイルはあまり変えたくないかな(笑)」
取材・文/久保田 和馬