『BAD LANDS バッド・ランズ』原田眞人監督に独占インタビュー!『燃えよ剣』とのつながりや群衆演出の裏側が明らかに
「役者の自主性を頼りにしたほうが、役にも自分の言葉が出てきます」
大阪弁のセリフは、監督自身がインターネットや方言辞典を駆使して、まず標準語で書いたものを変換するところからリズムを作り上げていった。掛け子の事務所でのシーンが、あんなにも生き生きとした活劇になったのは、大阪弁のパワフルな響きや軽快なテンポの力も大きい。
「環境は暗く、人間は明るく、というね。原作だと、事務所はマンションの上層階にある部屋なんだけど、ロケ場所を探している時に、滋賀銀行・旧彦根支店の地下に拷問室みたいな雰囲気があって、これはおもしろいなと。ここだったら、僕の演技ワークショップに参加している役者たちを大勢連れてきて、さらにオーディションで新しいメンバーも入れて、彼らを組み合わせながら楽しく臨場感あふれるシーンができるんじゃないかと思いました。特殊詐欺に携わっている人たちは、掛け子にしろ闇バイトにしろ、実はごく普通の若者なんですよ。これが一番怖いんですけどね。その怖さをわかってもらうためにも、いかにもおどろおどろしいヤクザっぽい人たちではなく、平凡な若い男女がいろんなアイデアを出しながら、罪の意識なんか全く感じることなく働いている雰囲気をイメージしていました」
原田監督と言えば『金融腐蝕列島 呪縛』(99)の銀行、『クライマーズ・ハイ』(08)の新聞社、『燃えよ剣』(21)の新撰組、『ヘルドッグス』のヤクザまで、組織に属する人間たちのドラマにかけては右に出る者がいない。本作には原田監督が長年続けているワークショップで出会った生徒たちも多数出演しているが、ワークショップを通じて培ってきたアンサンブルの演出が、オーケストラとして花開いた形になる。骨太な演技の応酬に目を奪われがちだが、掛け子の事務所のホワイトボードには、一人一人のニックネームも書き出されているなど、隅々にまで血の通った人物描写は実にきめ細かい。
「あのニックネームは基本的に自己申告制なんです。役者の自主性を頼りにしたほうが、役にも自分の言葉が出てきますから。そういう方式を一番顕著に取り入れたのは『クライマーズ・ハイ』の時でした。50人の新聞編集部員役全員が、自分のニックネームだけでなく、それぞれの背景も考えてね。人には言えない恥部だったり、隠れ阪神ファンだったりと色々な設定を作っておいて、リハーサルでは実際に撮影するシーンの1日前とか2時間後とかを想定して、編集部での1日24時間を彼らがどう過ごしているか、自分で考えて動いてもらった。今回はそこまではやらなかったけど、みんなわりとすんなり溶け込んでくれましたね」
「この映画の希望は個々の連帯が生みだす力です」
本編の終盤で、ネリがブランコを漕ぎながら、元恋人の胡屋(淵上泰史)にとりとめのない話を語って聞かせるシーンがある。胡屋と幸せな日々を送っていた頃の夢と思しき断片には、現在のネリには見られない安藤の表情もあり、ほかのシーンとは質の異なる映像が印象的だ。
「あそこはベルイマン的な世界なんですよね。殊にイングマール・ベルイマン監督の『ファニーとアレクサンデル』(82)へのオマージュを込めています。基本的にこの作品は『イングマール・ベルイマンが犯罪映画を撮ったとしたら…」というところから発想していて、ネリにまつわる近親相姦的な要素はベルイマンの『鏡の中にある如く』(61)であったり、『サラバンド』(03)であったりを意識している。あのシーンの背景に流れている『サラバンド」も、最初はベルイマンの『サラバンド』で使われているバッハの曲(無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調)を考えていたんだけど、音楽の土屋玲子さんが、それでは(音が)沈んでしまうと言って、同じバッハの無伴奏ソナタ第1番ト短調をバイオリンで弾いてくれました。この映画におけるベルイマン的なるものの、ビジュアル的なハイライトになるのが、あの夢のシーンです」
これまで映画を通してその時々の日本社会を描いてきた原田監督。『BAD LANDS バッド・ランズ』には、特殊詐欺が横行し、それに騙される人、またそれに手を染める人が後を絶たない、今日の日本の姿が刻まれている。
「2015年に原作を読んだ時、これを映画化する頃には、オレオレ詐欺なんて忘れ去られているだろうなと思ったんですよね。まさかそれが形を変えてこんなに長く続いていくとは思わなかった。それだけいまの日本という国は、政治のトップから社会の底辺まで、正義と悪の境目がなくなっている。どんなにバカなことをしても、それが誤魔化されたまま残っていく。そんな誤魔化しの国だからこそ、そこに生きる人々も、誤魔化されやすくなっているんだと思います。その中でさらに世代が分断されているんですよ。オレオレ詐欺は、高齢者が高齢者だけで放置されているから騙されるのであって、世代間の分断がなければ防げるわけですよね。そういう分断の隙間には詐欺という形の犯罪が入り込みやすい。そこをどうやって埋めていくのか、個々のコミュニティで考えていかなきゃいけないことだと思うけど、なかなか解決策は見えないですよね」
せめてもの救いは、原作と異なる映画のラストか。
「この映画の一つのテーマとしてはやはり、個々の連帯が生みだす力ですよね。ネリは生き抜くために、出会った人たちと手を組んで連帯する。それがこの作品の希望です」
取材・文/奈々村久生