「In-N-Outバーガー」から炎上事件の真相まで。第96回アカデミー賞授賞式の舞台裏まとめ
オスカーにリモート参加⁉アンジェリーナ・ジョリー
2023年5月、ファッションのプロジェクト「アトリエ・ジョリー」を立ち上げたアンジェリーナ・ジョリー。自身のインスタグラムで「アトリエ・ジョリーは、世界中の職人など多様なファミリーとコラボレーションするクリエイティブな場となる」と発表し、話題となっていた。そんなアトリエ・ジョリーが、今回のオスカーでレッドカーペットデビュー!記念すべきドレスを着用したのは、歌曲賞にノミネートされたジョン・バティステの妻で、作家のスレイカ・ジャワド。癌の治療と交響曲の作曲に挑むバティステとジャワド夫妻を追ったドキュメンタリー『アメリカン・シンフォニー』からインスピレーションを得た画が、波のようなラインが入ったゴージャスなゴールドのドレスの裾に描かれている。
バティステらの胸を打つパフォーマンスの感動が冷めやらぬまま幕を明けたアフターパーティーでも、アンジーの名前がメディアを駆け巡った。いま最もホットな女優、シドニー・スウィーニーが、ちょうど20年前、2004年のオスカーでアンジーが着用したマーク・バウアーのドレスを身に纏って登場したからだ。ホルターネックが特徴で、ウエストに集まったドレープのデザインがなんともセンシュアルなこのドレスは『七年目の浮気』の名場面のマリリン・モンローをみれば、アイデアの源がわかる。ハリウッドのセックス・アイコンの変遷を、3代にわたって目撃した感じで楽しすぎる!ポスト・パンデミックの世界では、リモートでオスカー参加がINになる?
アジア人差別?エマ・ストーンとロバート・ダウニー・Jr.の炎上、アメリカでの反応は
『哀れなるものたち』で主演女優賞、『オッペンハイマー』で助演男優賞の栄誉に輝いたエマ・ストーンとロバート・ダウニー・Jr.。受賞の脚光とともに、2人はとある批判の的にもなってしまった。特に日本では、2人の行為は炎上していると大体的に報道された。その批判とは、いずれも“エブエブ”からのプレゼンター、ミシェル・ヨーとキー・ホイ・クァンからオスカー像を受け取る際に、アジア人差別があったのではないか、というもの。2人とも昨年の受賞者を“無視”して別のプレゼンターとしか接していないように見えなくもない。
ただ、ストーンの場合は、そういった差別の報道に対して、ヨーが自身のインスタグラムでいち早く対処。「エマ、おめでとう。私があなたを混乱させちゃったの。あなたの親友である(同じくプレゼンターを務めた)ジェニファー(・ローレンス)から像を受け取るかたちで、この特別な瞬間をみんなで一緒にお祝いしたかったの!」と投稿したことで、ストーンがヨーの手から素早く像をもぎとり、ヨーを無視してローレンスと抱き合ったように見えたのは誤解だったことが判明。
日本ではストーンのほうが炎上と大きく報じられていたけれど、どちらかというと、アメリカ国内でバズっていたのは、ダウニー・Jr.のほう。生放送を観ていた筆者も一瞬ドキっとしたので、ソーシャルメディアなどで翌日に報道が出てもびっくりしなかった。が、それが、アジア人差別や軽視だったかと問われると、アメリカ在住アジア人である筆者もそう感じなかったし、アメリカのメディアもそのように報じているところはなかった。
たしかに、クァンが像を渡す時、その後クァンがこぶしをぶつけるような(やったね、みたいなジェスチャー)しぐさや声をかけることで、ダウニー・Jr.の気を引こうとしたが、無視したように見える。しかし、舞台をみんなで降りたあと、ダウニー・Jr.はクァンの肩を抱いたり、クァンのセルフィーにポーズを決めたり、バックステージで目を見つめて語り合う様子が、そのインシデントの直後に世に出ているのだ。
アメリカの多くのメディアが報じたように、ダウニー・Jr.は失礼だったか?の問いにはイエスだろう。けれど、その失礼な行動が、クァンがアジア人であるがゆえになされた行為であることが証明できなければ、それはアジア人差別とは言えない。多くの人が知っているとおり、アメリカではいまだに差別が根強く存在する。けれど、先駆者たちのおかげで、少なくとも抗議の声をあげることが可能だ。だけど、声を上げる権利は慎重に行使しなければならない。でなければ、運命的に出会った役を精魂込めて演じ、たったいま人生初の栄光を得た1人の役者の人生を終わりにさせることだってできるからだ。それぐらい、世間やこの業界で人種差別はご法度だし、特にアカデミーは、自分たちが“白すぎる”と批判されてきただけに、このトピックに関してどこよりも敏感だ。アカデミーもメディアも、ダウニー・Jr.がアイアンマン(というか最初のころのトニー・スターク)のような人だったかもしれないが、レイシスト(差別主義者)ではないと判断した。それがこちらでのリアルな温度感だったと思う。
文/八木橋恵