是枝裕和、坂元裕二がカンヌで語った『怪物』に秘めた想い。「言葉という矛盾した存在と、どのように付き合っていけばいいのか」
是枝裕和監督とカンヌ国際映画祭の縁「初めて来た時、視界が広がる感覚があった」(是枝監督)
是枝監督がデビュー作『幻の光』をヴェネチア国際映画祭で披露したのが1995年。カンヌ国際映画祭とは、最新作『怪物』で9度目、コンペティション部門には7作品が選出という長い付き合いになる。なぜ国際映画祭なのか、なぜカンヌなのか。その問いに、「最初にカンヌを訪れてから、現在までずっと変わらずに感じていることがある」と言う。
「僕はテレビ(ディレクター)の出身で、日本の映画界とはつながりがありませんでした。誰かの助監督についたこともなく、まったくの部外者として映画を作り始めて、非常に孤独でした。初めてカンヌに来た時、とても視界が広がる感覚があったんです。自分が作っている映画が、『こんなにも多くの人たちとつながっているんだ、多くの映画の作り手とつながっているんだ』と実感し、励まされました。だから、カンヌ(や映画祭)に来ることをスタッフやキャストにも勧めています。自分がやっている仕事が世界とつながっていると実感できる場所だからです。それは監督だけじゃなくて、役者もジャーナリストも、みんなそうではないでしょうか。その喜びを、ここに初めて来た時から変わらず実感しています」。
是枝監督が上映に参加したり、カンヌの街を歩いているとひっきりなしに声をかけられる。「ファンです」と言い記念撮影を求める若いフランス人カップルもいれば、韓国のジャーナリストが、いま観ていた映画の感想を問うこともある。是枝監督の姿を見つけると駆け寄り、映画の感想を伝えようとする人もいる。お互いに第一言語ではない言葉で、懸命に想いを伝え合おうとする瞬間が多く訪れる。こうした切実な対話は、是枝監督を“孤独な映画監督”から、言語や文化を超え、本来は見えないつながりを映画に写しとる映画監督へと導いていった。『怪物』で描かれていることの一つは、パンデミックを経て人々が陥っているコミュニケーション不全を、是枝監督と坂元がそれぞれ突き詰めたものだそうだ。
是枝監督は言う。「この映画は地方都市の小さな小学校で起きた小さな事件を描いていますが、ここで描かれている人間と人間の無理解による断絶や、視野が限定されて相手の全体像が見えずに怪物だと思ってしまう現象は、おそらく日本特有ではなく、世界中で起きているんだろうと思います」。一方、坂元は記者会見でこう述べている。「私は脚本家ですが、常に言葉というものに疑いを持ちながら物語を紡いでいます。この物語には冒頭から、常に人と人が対話をしながら、そこに誤解が生まれ、争いが生まれ、文化が生まれています。しかし、同時に、言葉には愛情を伝える力がある。その矛盾した存在と、私たちはどのように付き合っていけばいいのか。その一つの表れとして、(とあるシーンについて)彼らは言葉ではつながれなかったなにかを感じたのではないか、そんな想いを描きたかったんです」。