アニメ界の巨匠・高畑勲監督の素顔を知る2人が、出会いと思い出を振り返る
現在開催中の第31回東京国際映画祭で29日、今年4月に逝去した高畑勲監督の特集上映として遺作となった『かぐや姫の物語』(13)が上映。上映後のトークショーに本作のプロデューサーを務めたスタジオポノックの西村義明代表取締役と、同作を含め多くの高畑監督作品に参加した百瀬義行が登壇し、奇しくもこの日、没後最初の誕生日を迎えた偉大なアニメーション作家との思い出話に花を咲かせた。
「『火垂るの墓』から高畑さんの演出プランに従って、絵コンテを描く作業に深く関わらせてもらいました」と語る百瀬は、高畑監督がスタジオジブリで制作した作品すべてに参加したことを明かす。そして「高畑さんが『アルプスの少女ハイジ』を作った頃、僕も日本アニメーションにいました。宮崎駿監督が『風の谷のナウシカ』を作るという時に、スタッフがいないような状況で、僕は高畑さんから原画をやらないかと言われ、阿佐ヶ谷の喫茶店で話をしました」と、その出会いを振り返った。
一方で、2000年代前半にスタジオジブリに入社した西村は、高畑監督たっての希望でスタジオジブリ配給のもと日本公開された『王と鳥』(80)の際に初めて一緒に仕事をしたことを明かす。そして「高畑監督はとても恐ろしい監督であるというのがジブリでは常識でした。高畑さんとはひと握りの人間しか話せないんだと言われていました。でも一緒に一本の作品を宣伝し公開するということから知り合うことができて、何故かはわからないですけど相性が良かったと高畑さんも思ってたはずです」と顔をほころばせた。
『ホーホケキョとなりの山田くん』(99)以来、実に14年ぶりの長編監督作となった『かぐや姫の物語』を手がけるまでの高畑監督の様子について西村は「いろいろなことをされていました。詩集の翻訳をしたり、アニメーション監督というよりは研究者に近付いていました」と語り「毎週美術館にも足を運んでいましたね」と付け加える。
同じ頃、百瀬も美術館に通い詰めていたそうで西村から「知らず知らずのうちに影響受けてたりしませんか?」と訊ねられると「あると思う」と笑顔で認めた百瀬は「そのほうが(高畑監督と)深く話せるし、理解できる。そういうものを見たりする動機になっていました」と、高畑監督への敬意をのぞかせる。そのエピソードを踏まえて西村は「自分が興味を持ってることを、ない人に興味を抱かせる人でした」と表現した。
そして『かぐや姫の物語』について百瀬は「高畑さんは東映動画で最初に作られた『ホルスの大冒険』のときから、新しいことを追求していました」と後々主流となる様々なアニメ制作の技法を高畑監督がいち早く取り入れたことを明かす。また西村は「この映画が現代に存在するならどんな意味を持ち得るのかと、常に冷静に見ながら作品を作っていた高畑さんは、本作のときには最初“女性”とは何かを深く考えようとしていました」と振り返った。
最後に百瀬は「次の作品も観たかったですね。『山田くん』の時に『かぐや姫』に近いスタイルを作った。『かぐや姫』があって、もうひとつあるとさらなるものができたでしょう」と語り、西村も「高畑さんがいなかったら世界の見え方が違っていたでしょう。そのくらい、自分の中に糧として何かを残してくれた方だと思います。自分の一部分がなくなった気持ちになりました」と、高畑監督の死を嘆いた。
第31回東京国際映画祭では10月31日(水)にも「高畑勲監督特別上映会」として、高畑監督の最初の長編監督作である『太陽の王子 ホルスの大冒険』が上映される。
取材・文/久保田 和馬