91歳の巨匠・山田洋次監督を支え続ける“番頭”が明かした、『こんにちは、母さん』の舞台裏
「山田監督のロケーションへのこだわりは、90歳を超えても変わっていません」(牧野内)
「隅田川沿いの下町、古びた家並みの向こうにスカイツリーが高々とそびえる『向島』にカメラを据えて、この江戸以来の古い町に暮らす人びとやここを故郷として行き来する老若男女たちの人生を、生きる喜びや悲しみを、スクリーンにナイフで刻みつけるように克明に写し取り、描き出したい」。
“東京・下町”を舞台にしたこの『こんにちは、母さん』という物語を描くうえで、山田監督はシナハン(シナリオハンティング=脚本を執筆するにあたって、作品の舞台となる場所を訪れてイメージを膨らますなどを行なう準備作業。脚本が固まったあとに行われるロケ場所探しは“ロケハン”と呼ばれる)の段階からそのように語っていたという。
ロケハンに立ち会った製作部の牧野内は、次のように振り返る。「山田監督は、写真などではなく直接その目で見て確かめないと納得しない人です。シナハンとロケハンは、向島を中心に古びた街並みが残っているエリアを中心に行ない、基本的には監督と一緒に歩き回りました。ちょうど暑い夏の時期で、監督もその時すでに90歳。途中でゲリラ豪雨に見舞われることもあり、体調を考慮して次の日にまたやり直すこともしばしばありました」。
製作部のスタッフとして、10年近くにわたって“山田組”に参加してきた牧野内。「山田監督と仕事をする前は、ロケができる場所をとりあえず探せばいいと思っていましたが、監督と仕事をしていくうちにスタッフも自分なりに演出を考えながら探さなければいけないのだと学ぶことができました」と、巨匠の映画づくりにかける想いを目の当たりにして得たものを明かす。「もちろん山田監督の体力の変化もありますが、ここぞというところには、どんなことをしてもこだわる点は以前となんら変わっていないです」。
牧野内のその言葉に、房プロデューサーも大きく頷く。「たしかにロケハンでの“ねばり”のようなものは以前よりも少なくなったと感じることはあります。でもその分、牧野内さんをはじめとした周りのスタッフの方々が何倍も動いて準備を重ねてくださいますし、監督も皆さんに厚い信頼を置いていることがよくわかります。なによりも撮影が始まれば一切妥協しないのが山田監督。そこに関しては、91歳という年齢をまったく感じさせませんね」。
「地域に根付いた喫茶店で、地元の雰囲気が脚本に落とし込まれていきました」(房)
シナハンの過程では、地元に暮らす人々との交流もあったという。「本作のタイトルロゴを書いてくださった、墨田区出身のマルチクリエイターである広井王子さん行きつけの喫茶店『珈琲家』が曳舟駅の近くにあるのですが、シナハンやロケハンの時には毎回欠かさずそこへ行っていました」と、房プロデュサーは振り返る。
「地元の人たちがひっきりなしに入ってくる下町情緒あふれるお店で、皆さん年齢や性別も問わず楽しそうに色々なお話をされていました。監督はそこで地元の方々の会話に耳を傾けたり、いろんなお話を聞いたりして、そこで得た地元の雰囲気が脚本に落とし込まれていったと感じています」。
ロケーション撮影は、東京都内での映画やテレビドラマの撮影を支援する「東京ロケーションボックス」と「すみだフィルムコミッション」の協働のもと、2022年の9月ごろから10月ごろにかけて行われた。隅田川に掛かる言問橋や河川敷の隅田川テラス、白髭橋の高架下などをはじめ、隅田川の屋形船や遊覧船、どこか懐かしい雰囲気のある街並みと、その背景にそびえ立つ東京スカイツリーなど、向島周辺一帯の空気感が切り取られている。
そうした人情味のある下町の良き部分だけではなく、劇中では隅田川沿いで生活するホームレスの方々の姿や、1945年3月10日に向島区(当時)を襲った東京大空襲の歴史なども描かれていく。「撮影にあたっては、監督や吉永さんもご一緒に東京大空襲戦災資料センターに出向き、そこで資料をお借りしたりアドバイスをもらったりしました。また、劇中に登場する東京大空襲の絵は、作家の早乙女勝元さんの娘の愛さんに紹介いただき、すみだ郷土文化資料館からお借りしたものです。当初は使う予定がなかったのですが、監督があの絵を入れてみようと仰って、本編に織り込むことになりました」。