『ラスト サムライ』公開から20年!“ケン・ワタナベ”の『GODZILLA ゴジラ』、『ザ・クリエイター』へと続くハリウッド史を振り返る
ハリウッドを志す日本出身俳優の道を切り拓き、その可能性を自らの手で押し広げた渡辺謙。いまでは世界中の映画ファンが知る日本を代表する国際的スターだが、そのきっかけとなった『ラスト サムライ』(03)の公開から今年でなんと20年(2003年12月6日に日本公開)!そこで本コラムでは、『ラスト サムライ』から始まった世界の“ケン・ワタナベ”の輝かしいハリウッド映画史を振り返っていきたい。
“武士道”を体現した『ラスト サムライ』で世界を魅了!
『ラスト サムライ』はトム・クルーズが製作と主演を務めたハリウッド製時代劇。明治維新後の日本が舞台の本作は、日本政府に依頼され、西洋式の戦術を教えるために来日した戦争の英雄、ネイサン・オールグレン(クルーズ)と、政府軍と敵対する侍たちの長である勝元盛次との友情を通して、失われつつある“武士道”の精神を描いたものだった。
渡辺はネイサンと双璧をなすもう一人の主人公とも言える勝元役をオーディションで勝ち取り、英語が自然に話せるようになるまで猛特訓して撮影に臨んだようだが、武士団を率いるその堂々たる風貌と西洋人の視点から映る異彩ぶりは圧巻!ネイサンを魅了し、彼に影響を与える人間力を感じさせる存在感で観客の心もつかみ、アカデミー賞とゴールデン・グローブ賞の助演男優賞にいきなりノミネートされるという快挙を達成。世界にその名を轟かせた。
また、勝元の忠臣、氏尾を演じた真田広之と共に、日本人が見ておかしいと思うような描写を正すアドバイザー的な作業も自ら率先して行ったという。そうした、一つひとつの妥協しないきめ細やかな献身が、ハリウッドの映画関係者との信頼と絆を強くしていったのだろう。
クリストファー・ノーラン、クリント・イーストウッド監督作に続けて出演
その証拠に、2005年にはハリウッド進出第2作として、『ダークナイト』(08)、『ダークナイト ライジング』(12)へと続くクリストファー・ノーラン監督の『バットマン ビギンズ』に出演。ヒマラヤに本部を置く「影の同盟」のリーダー、ラーズ・アル・グールを白い髭を生やした謎めいた風貌で体現し(彼には実はある秘密があったが…)、人間の“闇”を独特の緊張感で作り上げていた。
さらに同年には、スティーヴン・スピルバーグ製作、ロブ・マーシャル監督による『SAYURI』で、主人公の芸者に扮した中国のチャン・ツィイーと共演。その勢いは留まることを知らず、2006年には“ケン・ワタナベ”の名を印象づける決定打となった、クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』への出演を果たした。
太平洋戦争最大の激戦地と言われる「硫黄島の戦い」を、『父親たちの星条旗』(06)との二部作で日米双方からの視点で描いた日本側の作品にあたる本作。渡辺が演じたのは、約2万2千人の日本兵たちを率い、防衛の先頭に立って戦った実在の人物、栗林忠道中将。ほかにも二宮和也、伊原剛志、加瀬亮、中村獅童といった日本を代表する俳優たちが出演したが、撮影現場の渡辺は役柄同様、彼らを牽引するリーダー的な役割を実践したという。時には、アメリカと日本という国民性だけではない、日本人でも世代によって戦争に対する意識が違うということをイーストウッド監督に自らの言葉で説き、栗林という男がどんな想いを抱えながら硫黄島で生き、死んでいったのかを自らの肉体で表現してみせた。