時の天皇や藤原道長ともつながりが!意外と知らない?陰陽師&安倍晴明のお仕事
「陰陽師」や「安倍晴明」と聞いて、あなたはどのようなイメージを思い浮かべるだろうか。怨霊やもののけなど、この世ならぬ異形の存在を視ることができる超能力者?呪術や式神を駆使して、様々な怪奇現象を解決するスーパーヒーロー?
古くは平安時代後期の文学「大鏡」や「今昔物語集」から始まり、現代でも小説、マンガ、アニメ、映画、ドラマ、舞台と数えきれないほどの作品で描かれてきた史上最強の陰陽師、安倍晴明。誰も知らない若き日の晴明を主人公にした新作映画『陰陽師0』が公開されるなど、生誕1100年を超えて、いまなお語り継がれる陰陽師界の大スターは、日本の歴史上に実在した人物でもある。本コラムでは、陰陽師が登場する作品を交えながら、陰陽師という職業、安部晴明のキャラクター像に迫っていきたい。
朝廷に仕え、貴族たちともつながりを持った陰陽師
そもそも陰陽師とは、飛鳥時代に桓武天皇によって設置された、いまで言う省庁の一つにあたる「陰陽寮」に所属する官僚たちのこと。つまり国家公務員である。奈良時代から平安時代初期、エリートである彼らの仕事といえば、天体観測に基づく暦の作成、時刻の管理、占いによる国政のサポートや風水を行うことだった。例えば新しい都を作る際に、ふさわしい場所を見つけ、土地の吉相を占うことは国家にとって重要事項であり、それを占う陰陽師の責務も重かった。
こうした陰陽師の仕事内容に変化が起きるのが、平安中期以降、藤原氏をはじめとする貴族階級が、政治の実権を握りだした時期だ。本来は朝廷のために働く国家官僚だった陰陽師たちは、貴族たちと私的に結びつき、彼らのコンサルタント的な役割も担うようになっていく。
貴族たちの生活のあらゆる場面で、彼らの吉凶を占ったり、密かに祭儀を執り行ったりするだけではない。怪異や病の原因が、怨霊やもののけによる祟りと考えられるようになると、その原因を探り、祭儀や御祓いによって解決を図るという対応も求められた。このころから陰陽師は、特殊な能力を持つ呪術師としての色合いを強めていったのである。
実は遅咲き?数々の伝説を残した安部晴明という人物
そんな平安中期に陰陽師として活躍し、第一人者として君臨し続けた人物が安部晴明である。現代のフィクション作品では青年として描かれることの多い晴明だが、実際の活動は壮年期以降。921年に下級貴族の子として誕生したと伝わる彼の名が文献に初めて登場するのは40歳で、ようやく天文得業生(成績優秀な学生に与えられた身分)になった時だ。
当時の優れた陰陽師であり、暦家として名高かった賀茂忠行と、その息子で破格の出世を遂げた賀茂保憲の門下生として暦学や天文を学んだ晴明は、41歳で陰陽師となり、52歳で天文博士となる。保憲の死後は、花山天皇や一条天皇、藤原道長の下で働き、彼らから絶大な信頼を得て、75歳の時には蔵人所陰陽師(天皇直属の陰陽師)に。80歳で従四位下という陰陽師としては異例の高位にまで昇り詰める。さらに82歳からは左京権大夫(行政を司る機関の長官)となり、1005年、85歳で天寿を全うするまで生涯現役を貫いた。
40歳と、かなり遅い出仕だったにもかかわらず、その後は猛スピードで出世し、当時では異常なほど長命だった晴明。藤原道長に対する呪詛を見破ったなどのエピソードが平安時代末期から記録されているほか、死後も「今昔物語集」「宇治拾遺物語」など数多くの説話に登場し、母親が狐であったという伝承や、式神を使ってカエルを殺したなどという数々の逸話を通して、超人的なキャラクターのイメージが定着していった。その背景には、晴明を陰陽師のシンボルとして崇めることで、陰陽道に基づく呪術や祈祷の威力をアピールしようとする意図があったともいわれている。